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30 日曜日、山の朝霧 5/9

フランスで楽なこと。
機嫌が悪ければ悪いってことを表に出していいっていうこと。
なんなら「ツレがクソで無茶ばかりしよって」みたいな愚痴をぶちまけて、へそを曲げた理由を開示する。
それもコミュニケーションの一環。

私は今こんなこと考えてるんだよって手の内を見せたほうが周りも楽。
雑談のテーマも提供できる。
一挙両得。
そういうものらしい。
情報源はユース、工場、某社会人R。

でもするっとは説明できないことが多すぎる。
ということで私はひとり庭先のテラスチェアに座って膝を抱え、白一色の世界を眺めてた。
霧は深くて庭ですら迷いそうだ。

さてどうしよう。
おじいちゃんにありのまま言うか。
言えるか。

霧の向こうからドアの蝶つがいがきしる音が響いてきた。
フランスの鹿が日本と同じ声で鳴いている。
それともこれは違う声?

確かに日本とオランダは考え方は違う。
日本のおじいちゃんがわーわー言ってるのは日本のお山ロジック。
私が今いるのは別の国。
もうあのお山に私はいない。
こだわらなくてもいいわけで。
鹿の子が母を呼ぶ声がする。

指笛を吹こうとした時ユキの声がした。
「ハルヒ、ずぶ濡れだよ、中に入ろうよ」

台所を通ってダイニングに入る。ジョン=マチスが寝息を立てている。
暖炉の前に椅子をひいて、ユキは私を座らせた。
ユキは一旦部屋から出て、バスタオルを持って来てくれた。
フィリップはいない。
私はお礼を言って髪を拭く。
ユキは言った。
「オランダ人よくわからないよ」
「彼を基準に考えたらオランダ人が可哀想だよ」
「あれはハルヒに失礼だよ」
「…ありがとう」

このままじゃフィリップの悪口大会への一直線なので話を変える。
「前から聞きたかったんだけど、ユキってどうしてユキっていう名前になったの? 由来とか意味とかあるの?」

ユキは入り口から奥側の椅子に座ってこっちを見た。
「サッカー選手の名前だって。日本人じゃないの? 」
バスタオルを肩にかけてちょっと考える。
「サッカーは詳しくないけど、ユキは確かに日本語で」言いながら綴りを考える。
ユウキか。
それかマサユキとかタカユキのとかの略称のユキ、通称でユキと呼ばれてた学生と会ったことがある。
「カッコいい名前だ」
ユウキがユキになるならコウキはコキか、フランスはおじさんとおじーさんの聞き分けできないっていうし、こだわる必要はない。
考えていたら台所との間のドアが開いた。
ユキはちらっとそっちを見て、何事もないように話し続ける。

「女の子の名前だとかも言われるんだ、時々」
「両方使える名前なんていっぱいある。覚えやすいしいい名前だよ。
私の知ってるボスもユウキだった。みんなを好きに働かせて、でも問題があったら速攻で指摘してた。羊飼いになれそうな男だったよ」
「何の仕事してたの」
「土産物屋」
言いながら右上を見上げた。
フィリップが立っていた。

昨日と同じスカイブルーのリュックを肩にかけている。
「こいつとハルヒならハルヒをとる。わかった。処分するよ」
「ありがたい選択だ。ただ、処分するんじゃない。元の場所に返す」
「了解です、シェフ」
窓の外を眺めると霧が晴れはじめている。
私はユキのほうに向き直った。
「ちょっと山いくけどユキも来る? 二時間くらいだと思うけど、山歩き好き?」

「何回かいろんな当番さぼってるからもう抜けられない。それに山歩きはボク向きじゃない」
キミは正しい。
私だって上り坂は好きじゃない。
「じゃ、ちょっと行ってくる。ありがとうね、ユキ」
私はタオルをたたんで立ち上がった。

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