マンホールの夜
夕焼けの橙色が次第に黒ずみ、わずかに雲の端が赤く見えるころ、鈴木正孝は自転車で家路を急いでいた。妻が保育園に孝を迎えに行き、自分は先に買い物をして夕食作りをする番だ。月水金は正孝が食事つくり、火木土が美知子の当番であった。日曜日は外食するのがルーチンになっている。
帰路のスーパーで買い物は済ませたので、今は帰って夕食を作るだけであった。ハンバーグを作るつもりで、合挽肉と玉ねぎと食パンを買った。卵はまだ家にある。付け合わせのキャベツの千切り用にキャベツも一個買い、レジ袋を前のかごに入れて、家路を目指す。近所の家からイブニングニュースのテーマ音楽が聞こえる。住宅街には闇が降りてきていた。薄暗くなった住宅の中の道をライトを点灯しようかと一瞬迷ったが、もうすぐそこが我が家だからいいやと思い、住宅の角を家の方に左折したところで、自転車がガクンとマンホールの蓋に乗り上げた。ハンドルを取られて蓋の開いたマンホールに前輪が落ち込んだ。正孝は頭から舗装道路にぶつかった。
マンホールの直径は自転車の車輪よりは小さかったが、車輪の落ちた分前方に傾き、そのまま前転した。かごは変形してレジ袋のキャベツや玉ねぎが道路に転がった。正孝はそれを気にすることもなく、前輪を落とした自転車とともに前転して前頭葉を舗装道路にぶつけて意識を失った。
鈴木美知子は、息子の孝の手を引いて家路を歩いていた。角を曲がる前から緊急車両の赤色灯の光が垣根の植え込みを照らしているのが見えていた。曲がり角まで来ると救急車が停まっている。その先にトラック。その前にパトカーが赤色灯を点滅させている。
「ほら、すごいね。パトカーと救急車だよ。」
孝は目を輝かせてパトカーに近寄る。その脇に前輪がひしゃげた自転車が倒れていた。うちのに似ているかしらと思いながらパトカーの脇をすり抜けて自宅の門扉を開けた。これだけの事故なのに、ご近所は誰も出ていなかった。我が家は玄関灯だけでなく部屋の灯りも点いていない。あれ、まーちゃんはまだ帰っていないのかな?せめて、遅くなるって電話でもくれればいいのに。子供の着替えを済ませ、自分も着替えて携帯を取り出すと、連絡が入っていないか確認し、正孝の携帯に電話した。
聞き覚えの無い男の声が聞こえた。電話番号を間違えたと思ったが、ラインから直通なのだから間違えるわけがない。
「もしもし、あんた誰よ?」
「こちら警察です。あなたは?」
「妻です」
「携帯の持ち主の奥さんですか?」
「そうです。主人は?」
「大変申し上げにくいのですが、今救急車で運ばれました」
「えっ…」
「三宅町の交差点なんですが、マンホールに落ちまして」
「うちのそばのですか?」
「ご自宅はどちらですか?」
「三宅町二の二です」
「ああ、そうです。すぐそばですね」
「それでパトカーと救急車がいたんですか?」
「あれ、そうです」
「すぐ行きます」
携帯をエプロンの
ポケットに入れ、孝をつれて財布と鍵をもつと、飛び出し
た。
「どこ行くの、ドッタンパッチー始まっちゃうよ」
ドッタンパッチーの主題歌が聞こえてくる。孝がメロディーに合わせて歌いだした。
ああ、七時だ、意識するともなく美知子は聞こえてくるテレビのメロディーから時間が浮かんできた。あー、まーちゃんの両親に知らせなくては。
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