学校何て
僕はADHDだった。当時はそういう認識もなく、普通の子供だと思っていた。柱に縛り付けられたり、チョークをぶつけられれたり、出席簿でぶたれたりしていたけど、それも普通のことだと思っていた。授業中に走り回ったりやりたい放題だからその代償だと思っていた。
僕が学校って、素晴らしいなあと思ったのは、中学二年の時だった。それまでは周りの出来事に無関心だったから、記憶に残る様になることはなかった。
転校してきた男児が、多分おうちが不自由だったのだろう、いつも弁当を持ってこなかった。そう、わが町は親の愛情が大事という理由で給食がなかったのだ。もちろん、弁当を毎日作る親ばかりではない。僕の場合は学校で販売されているパンを買っていた。彼はそのパンも買えなかったのだ。
それを見て、クラスの男子の一人が、自分で買ったコロッケパンを未開封で彼の机に置いた。おお親切な奴もいるもんだと思ってみていると、パンをもらった彼は返しに行った。机の上に置こうとすると、買ったやつはそれを拒否した。二人の間で返す受け取らないのやり取りが続いた後、そのパンを買ったやつはごみ箱に捨てた。
この話はこれで終わりではなかった。クラス担任はホームルームで教師に来るとゴミ箱を覗いて、捨てられたパンを拾った。
「誰がこんなもったいないことをしたんだ?」
「僕です」
「何でこんなことをした?」
「お腹がいっぱいになったからです」
「それなら家に持って帰って食べればいいだろう」
「すみません」
善意の彼が謝らなければならい。この話で悪いのはパンを買った彼か、パンをもらわなかった彼か、先生に言いつけた彼女か。僕には誰もに善意を感じた。それなのに、パンをもらわなかった彼を批判する人は誰もいない。それでいいんだと思った。彼には彼のプライドがある。パンを買ったやつの善意は、善意の押し売りだったんだ。こういうことが学べた学校っていいなあと思った。