「短歌人」2017年1月時評

「回収、ではなく」

 第62回角川短歌賞の選考結果によると「所属結社」というアンケート欄に結社名(学生短歌会や同人誌は除く)を記入している人数は35名中17名。つまり約半分。第61回選考結果を見ると、35名中20名。比較するために15年前、平成13年の第47回(受賞者は佐藤弓生さんの「眼鏡屋は夕暮れのために」)では30名中18名。こちらは6割。
 6割から、15年で5割に。これを結社離れとみるか、予想ほど結社から人は離れていない、とみるか。
 『テノヒラタンカ』という、オールカラーにイラストの付いた短歌集を、脇川飛鳥・天道なおと共著で出したのが2002年。活動としてはその前年より行っていたので、ちょうど角川短歌賞の第47回と時期は重なる。インターネットは普及したけれど、もちろんスマートフォンもツイッターもない時代。20代の前半の歌人、ということで当時は雑誌・テレビ・新聞等の取材をたくさん受けたことを覚えている。2002年当時、「若者」で「短歌」はトキとまではいかないが、イリオモテヤマネコぐらいの物珍しさで扱われていたように思う。「どうして短歌なの?」という質問が一番多かった。同世代の歌人は学生短歌会か、または少数のネット歌人だった。
 そのころと比べて、若者の短歌人口は格段に増えた。穂村弘・枡野浩一らのマスコミでの活躍。2005年から始まったラジオ番組「ケータイ短歌」のブレイク。そして、31音の短歌と、140文字のツイッターの相性の良さ。また百人一首競技カルタを題材としたマンガ『ちはやふる』の大ヒットによりは百人一首の和歌から短歌に興味を持つ人たちも増えた。
 では、結社に限ったら? 若者の短歌人口の増加と比例して、結社に所属する若者は増えたのだろうか?
 角川短歌賞のデータを見ても、周囲を見回した実感でも、答えはNOだ。短歌を始めた若者たちはたくさんいるというのに。では、彼らはどこにいるのだろうか?
 ブログ・ツイッターで短歌を発表する。嶋田さくらこが編集長を務める短歌なzine「うたつかい」(「zine」とは小冊子のこと)や、田中ましろが製作する短歌×写真のフリーペーパー「うたらば」に投稿する。そして次々とネットプリントサービスを利用した企画が立ち上がる。今、短歌と若者を取り巻く新しい場が創造され、飽和している。
 結社以外の場所で、会費を払う必要もなく、作品を発表することができ、批評し合うことができ、短歌クラスタ(「クラスタ」とは房、つまり集団のこと)と語り合える。結社の必然性は、結社ならではの存在意義とは?
 「ケータイ短歌」で短歌を始めた人たちが、熱心な結社の勧誘にあったり、あこがれの歌人を見つけたりして、結社に所属するようになることを「結社に回収された」と表現していたことがあった。今、新しい場で活躍する若手歌人たちもいつか「結社に回収」されていくのかもしれない。新聞歌壇やカルチャー教室での活動の後に、結社に入会するように。
 熟れた果実を収穫するように、他で短歌に興味を持ち、経験を積んだ人たちを「回収」して入会させることが、結社の増え方なのだろうか。結社が種を蒔き、実らせてゆく方法を、もっと模索しなければいけないのではないだろうか。短歌に興味を持った若者が多い「今」を、逃していけない。

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