「方言」に思うこと
今朝ラジオで初めて耳にした、高橋優さんパーソナリティーの「おつかれさん」。方言について、語っておられました。
番組ではリスナーのオリジナル曲を募っているらしく、茨城県在住の70代男性の方の自作自演曲が流れていました。2曲のうち1曲が、茨城弁で歌ったアップテンポの楽しい歌。方言の歌っていいよね、ってことで、高橋優さんは、故郷の秋田を方言で歌った自作の曲も流された。
「秋田の行事」高橋優(feat.柳葉敏郎、藤あや子、佐々木希&秋田県人会)。へえ~こんな曲あるんだ、秋田県人会のことは、ポッドキャスト番組「over the sun」でも、話題になってた、盛り上がってるんだなあ…と、早速この歌を検索。「ドンドンパンパンドンパンパン」でお馴染みのドンパン節が、秋田の民謡って初めて知りましたよ。
確かに、庶民に愛されてきた、えもいわれぬパワーが宿ってる歌。サビに何度も口ずさみたくなるウキウキ感があるね。
方言っていいよな~と思いつつ、実のところ、それとは、裏腹の気持ちも、私にはあります。方言はその土地ならではの強烈なにおいを放つ。それは温かくてよいもの、というだけでなく、排他性を感じさせるものでもある。
私は、大学時代の夏、郷里の海水浴場の海の家で住み込みのバイトをしていました。大学の友だちを誘って共に1ヶ月弱過ごしていたのですが…。その友人が私のことを“方言を話しているのがなんか嫌だった。違う人の感じがした”と言ったのです。要するに強い違和感があったということ。
人に指摘されて初めて強く自覚した。そう、東京で共通語話している自分(訛ってはいてもそう話そうと意識していたことが重要)、と、生まれ育った方言で話している自分は、少し違っている。性格が変わってくる。
「ばかじゃない?」っていうのと、「ほんまあほやなあ」って言うのとでは、ニュアンスが微妙に異なり、その言葉を使う心持ちが違う。どこがどうとうまく説明できないけど。そう、言語、って、その土地の人間であることを決定する、大きな要素です。性分に大きな影響を与えている。
幕藩体制の頃、藩により方言がきついのはその土地の者同士が内緒の話をするのに都合がよかった、と聞いたことがある。それは、その言語を話す者同士、その土地の者同士の結束力を強めることでもあったはず。同時に、閉塞感もあったろうなあ…。
共通語のある時代でよかった…。方言というか、言語と人の生活…奥が深いです。