福岡と、詩をまとうビルディング(『最果タヒ 詩のインスタレーション』)
最果タヒ 詩のインスタレーション
詩人・最果タヒさん。
お名前は知っていて、雑誌で目にしたり、ラジオで耳にしたりはありましたが、作品にそこまで触れることはありませんでした。
その最果タヒさんの展覧会、『最果タヒ展 われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。』が開催されることを知り、フライヤーを手に。
それに先んじて、『最果タヒ 詩のインスタレーション』が開催されるということで、観に行くことにしました。
福岡は天神・イムズ。
フライヤーには、こう書いてあります。
詩人・最果タヒが本企画へ書き下ろした詩「真夏日の詩」を印象的に配置した最大4.4mの立体オブジェをはじめ、新作の詩9編をエスカレーターサイドやエレベーター内、手すりなど、館内17箇所に展開します。
詩をまとうビルディング
1Fの入り口に入ると、さっそく柱部分に詩を発見。
下を見ると、フライヤーにあるオブジェが見えました。
イムズ全体を歩きつつ詩を探してみようと思っていると、パッと視線の先に文字・・・・・・。
手すりってこういうことか・・・・・・・!面白い、きっとそこら中に詩が出てくるような感じなんだな。
手すりの詩を読みつつ、まずはオブジェのあるB2階へ。
中央の大きなオブジェを中心に、箱のようなものに詩がぐるりと1周書いてあるオブジェが数点。ん、どこから始まってどう読むんだ?歩き回って試行錯誤しながら読んでいきます。
B2Fを観終えたところで、エスカレーターで上へ。すると、
エスカレーターのサイドにも詩が。昇りながら進んでいく詩。自分のペースでなく決められた速さで流れていってしまう詩に、いつも本や文章を読んだり、あるいは展示を観たりするような感覚とは違う面白さを感じました。
その後はどんどん上へ行きながら詩を見つけていくことに。手すりやエレベーターサイドに書かれている詩が他にもあれば、壁に書かれている詩も。飲食店街の一部にも詩が書かれていて、本当にイムズのビル全体が詩をまとっているようでした。
館内17箇所に展示とありましたが、おそらく見つけられていないところもあるはずです。また、それぞれの詩を吟味するというより、「詩さがし」の方に熱中してしまいました(というくらいビルの上から下まで展開されています)。
詩を吟味しながら・・・・・・と思うと長時間イムズにいるんじゃないかと思います。このインスタレーションは無料の展示であることもあり、今日はインスタレーションがどのようなものかを観てみることに留めました。
見つけてない詩を見つけたり、それぞれの詩をもっとよく読んでみるために、また行こうと思います。
詩を読むとは
小学校・中学校あたりまでは国語の教科書で習って読んだ詩。改めて詩というものにしっかり触れるのは相当久しぶりだと思います。
今回のインスタレーションにあった最果タヒさんの詩は、習ってきたような短文が並んだある程度簡潔なものではなく、少々長めのもののような感じがしました。
詩の形式についてこういうものも普通にあるとは思うのですが、何せ詩に長く触れず、不知な部分の多い自分にとっては、「これも詩というものなのだ」というところからのスタート(すみません)。
最初は何かしら『読み取ろう』としながら読んでいました。が、読み進めていくうちに、「それぞれに何か自分なりの解釈を持つ必要があるのか?」と疑問が。授業で習ったときには、背景や心情などの学習的な「答え」を見つける必要があったけど、今回それを見出した方がいいのか?そんな想いもあり、今回は読んで素直に感じたことが1つあればいい。また観に来て、その感じが変わるのだったらそれでもいい。という、少々気楽な気持ちで観ていくことに。
色んな階を行き来し、今回は「夏」に関わるものが中心だった最果タヒさんの詩を見て、自分が感じたこと。それは、うだるような暑さではなく、でも部屋から見る朝の濃い水色の空や、なんとも嫌な雲をたたえた夏の夕方の、少々不安定な姿でした。
自分の感じたことが詩と合っている部分があるのかは分からないし、そもそも「合う」とか「正解」みたいなものがあるのかも分かりません。でも、詩を読みながら思い出されたのは、小さい頃に一人の時間で目にした、なんとなく物思うような夏の空です。
もしかしたら次は、この感じが変わるかも知れない。むしろ逆の思いを持つかもしれない。
でも、まだ見つけていないであろう詩を観に、今日よりも少し時間をかけて詩を読むために(エスカレーターに乗って流れるように読む詩も大好きになりましたが)、またインスタレーションを観に行こうと思います。
8月からの展覧会も、行くのが楽しみです。