noteという幸せの街
『noteという幸せの箱』というタイトルで1つ記事を書きました。
noteフェス2日目、「noteフェス前半戦を岸田奈美さんと振り返る中間セッション」を観てのものです。その時のニュースと合わせてふと思ったことを書いています。
この時はnoteでどんどん発信するといいということへの共感とオススメを、noteを「使う」という捉え方でいました。
その後、noteフェスの最終日にあったセッション、「noteが目指す創作の街」を観て、街かと。
「創作の街」というタイトルに、どういうことだろうと思っている部分があったのですが。あぁ、街という見方はいいものだなと感じました。
「noteが目指す創作の街」では、CEOの加藤貞顕さん・CXOの深津貴之さんが、「創作」について
書きたいことを書きたいように書く。技術は後からついてくるし、創作し続ける過程で仲間もできる。
創作を続けるコツは、超大作を作らないこと。
超大作を作ろうとすると最初で挫折する、初手ではコンスタントにできるようなことをする。
他人に見せることを前提にしなくて良い。他人に見せようとするとハードルが上がる。
コツが分かってきてから、創作の段階を上げればいい。
といったことを話されていて。これ自体は自分の背中を押してくれる、色んな方が言われていた「とにかく書く!投稿する!」意欲の出るものでした。
ですが、加藤さんと深津さんが話していてnoteの見方が変わったのは、話に出てきたこの部分でした。(若干捉え方のニュアンスが違っているかもしれません)
noteは街だと思っている。
インターネットに個人が住所を得て、好きな街で暮らすような世界を作りたい。
noteはニューヨークの街に近い。
自分が知らなかっただけで、お二人は色々なところで言われていたことなのかもしれません。ですがこれを聴いてから、noteを「街」と考えてみると、しっくりくる部分がありました。
街に住むのに特別な技術は不要で。ましてや他人に見られるためにその街に住むわけではなく。でもこの街は自分の創ったものを街中に出すことができて、実はそれが「街づくり」のひとつになっている。
街にはいろんな区画があって、どんな区画を訪れるのも自由。どんな区画で自分の創作を出すのも自由で、その区画の中で親しくなる人や、憧れの人ができる。その街の人の魅力的な創作を見たり、自分が街づくりを続けていたりすると、そのスキルは向上する。
そういう風に考えていると、「これからのnoteの取り組み」についても、どこか街づくりの一環のように見えてきました。
セキュリティをしっかりしていくのは街の安全を守るための対策で。
エディタの変更は、街の人たちの暮らしやすさ・過ごしやすさの向上で。
トップページを新しくする(メディア化)構想は、街の景観をもっと魅力的にするアイデアで。
DM機能は街の人たち同士の通信環境を整えるもの。
あぁ、「街」と捉えるだけで、こんなにも1つのサービスが広がりを持って見られるのかと。「見方が変わる」ってこういうことなんだろうなと、今更ながらにフッと笑顔になってしまいました。
とは言え、自分が『幸せの箱』と言って書いたこと自体は変わらず。他の方たちが言われているように、やっぱり発信をどんどんしていくといいのだと思います。
ただ、noteを「使う」という1つのツール的な見方ではなく、noteという「街」に入る。街にはためになる・楽しい・癒やされるものがたくさんあって、いるだけでも充実感を得られる。でも、少しずつ発信をしていくと、その街を作り上げることにも繋がっていく。
幸せな街で発信をすると、やっぱり居心地もいいものになるはず。それでスキルが上がって、もっと発信ができるなら、これ以上にない魅力的な街じゃないかと感じています。
『note CREATOR FESTIVAL』は、町内会のお祭りのようなものと言われていました。
各セッションはまさにお祭りというべき、そんな豪華な方々が話をされていたと思います。
でも、加藤さんと深津さんが話を終えられて、最後にスタッフの皆さんが集合されたとき。(言い過ぎかもしれませんが)noteという街の人たちが、「良かったでしょ?」「もっと街に来て楽しみましょう!」と笑顔でいる。そんな感じにも見えたんです。
noteという「街」。そう考えるともっと楽しめるし、もっと街を見て歩きたい。そしてちょっとずつ街づくりにも参加していきたい。
いろんな人たちにも「街」と思ってもらうと、もっと入りやすいし、いい方向に活性化していくんじゃないか。そう思いました。