掃除シートは流さない! 水に溶けてもNGです
水洗トイレが普及してからトイレ掃除は随分楽になった筈ですが、清潔が当たり前になり、汚れに神経質になる方が多くなったように思います。
いつの頃からか、トイレ掃除シートなるものが登場しました。
汚れ落としと除菌成分を含んだ紙です。
便座裏や淵の汚れを落とすのにとても便利で、私もこの商品を見つけてから、トイレットペーパーからトイレシートに乗り換えました。
ですが、今、水に溶けるタイプの掃除シートが登場し、それが問題になっているのをご存知でしょうか?
汚れた紙を捨てるのに困った人が、水に溶かしてトイレに流してしまえばいいという発想で作られた商品です。
水に溶けるタイプのトイレシートが、今、浄水場を悩ませているそうです。
水に溶けるからといって、何でも流しては駄目なんです。
たしかに、水に溶ければ、配管を詰まらせることなく浄水場まで流れることが出来ます。
でも、溶けた紙はそのまま海に流しているわけではありません。
浄水場で集めた下水は、きれいに処理してから川や海へ流さなくてはなりません。
溶けて目に見えなくなった紙も、きちんと除去してから流しているのです。
紙が大量に溶けると、汚水を処理する手間が増えてしまいます。
トイレに大量の紙を溶かして流すことが、浄水場の大きな負担になっています。
特にトイレシートは手を汚さずに済むように厚手で大きなものが好まれるため、取り除くのは大変です。
トイレは、必要最小限のトイレットぺーパーしか流してはいけないのです。
燃やせるゴミとして捨てれば済む事なのに、私達は清潔と楽を選びたいために、余計な面倒をかけています。
私は、掃除で使った紙は、トイレに置いてある小さなゴミ箱へ捨てておき、可燃ごみの日に集めて捨てています。
すぐに捨てないからといって、匂ったり不快な思いをすることもなく、特に気になりません。
企業は自分たちの作る商品が、本当に持続可能で地球にやさしい商品なのかを考えてから、発売してほしいと心から思います。
特に、テレビで何度もCMが流れると、その商品を使うことが当たり前の文化になってしまうのが怖いです。
どうして国は、環境に負担を書ける商品の流通を止められないのだろうと不思議に思います。
浄水場で働く人たちが声をあげても、誰にも届かず世界は間違ったまま進み続けます。
国がきちんと声をあげて、地球が喜ぶ生活スタイルへと導いていってくれたらと思います。
コロナが蔓延してから、紙信仰が流行し、
「清潔に!」という意識が高まりました。
一度使ったハンカチは雑菌が増えてむしろ汚れているなどと言われ、ハンカチを持つことは清潔ではなくなってしまいました。
お店のトイレには使い捨ての手拭き紙が置かれ、毎日大量の紙が消費されます。
温風で乾かすことは菌をまき散らしてしまうと言われたので、みんなが紙で拭くようになりました。
電気の力を借りて温風を出し手を拭くこともエコではないし、その機械を作る事自体もエコではないので、私は温風を使うことにも抵抗を感じます。
手を拭くのは、昔ながらのハンカチが一番良いのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
トイレは、大量に地球の資源を使い捨てする場所になってしまいました。
一日に何度も利用する場所なので、とても残念です。
私も、少し前まで、トイレに紙が用意されていると当たり前のように使っていました。
紙を捨て続ける文化に違和感を覚えたのは、コロナが落ち着いてからです。
清潔よりも楽したい気持ちの方が勝っていることに気がつき、そんな自分が嫌で変えました。
ハンカチを持っていても使わないのは、ただ洗濯を面倒に思っているだけだと気がついたからです。
昔と違い、今はタオルハンカチだからアイロンをかける必要もないし、それほど面倒に思うこともないはずなのに、つい紙を使ってしまう自分が嫌でした。
木から作られた紙を毎回使い捨て。
それを何とも思わずやっていた自分。
なんだかおかしいなと思いました。
水に流せるトイレ掃除シートも、手拭き用に使い捨てされる紙も、一度真剣に考えてみなくてはならないことのように思います。
どうやって作られたかを想像する。
自分のしていることの結果を想像する。
きちんと想像することを習慣にしている人は、おかしいことに簡単に気がつけるのかもしれません。
その行動が正しいか間違っているかを判断する時、とても簡単に出来る分かりやすい方法があるそうです。
「全員が同じ行動をしても困ったことにならないか」
地球に住む全ての人が同じことをしても大丈夫だろうかと、想像してみます。
全員が同じことをしても困らないなら、その行動はOKです。
大変なことになるならNG。
世界中の人間がトイレに行く度に、紙で手を拭いても大丈夫でしょうか?
世界中の人がトイレ掃除の度に、使った紙を水に流しても問題ないでしょうか?
それでも地球が大丈夫と思えるかどうかが判断の基準です。
自分一人なら…という考えを変えることが、一番大事なのかもしれません。