私の個人主義とセガレン
主体と客体の間に生起するもの
セガレンのエグゾティスム
「近頃自我とか自覚とか唱へていくら自分の勝手な真似をしても構はないといふ符徴に使ふやうですが、其中には甚だ怪しいのが沢山あります。彼等は自分の自我を飽迄尊重するやうな事を云ひながら、他人の自我に至つてはも認めてみないのです。荷しくも公平の眼を具し正義の観念を有つ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、共自由を他にも与へなければ済まん事だと私は肩じて疑はないのです。我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくしてはならなないのであります」
夏目漱石の「私の個人主義」と繋がる
異なるものの観念のはなし
"排他的な言動や態度、自分、自民族、自国中心主義の要因の中に他者に対する想像力の欠如があるのではないだろうか"
自由、平等、友愛を掲げたフランス第三共和政も植民地帝国建設を進めた
その後、ナチスドイツに侵略され今も民族問題を抱えている
西欧至上主義という主体が「知りたい」とした対象、その一方通行は、東側、アジアアフリカそのほかの大陸を
帝国主義や植民地化を掲げ使命の名の下に繰り広げられた
多様性をいち早く見たセガレンの試論は
個人主義の中で相手との差異を感じることが出来るのは強烈な個性の持ち主だけと語る
思考する主体は全て客体を想定していることと
差異を感じるとは対象を想像することでもある
関心を持つということである
強烈な個性を備えたものが客体性を備えたものと衝突し、自分とそれとの距離を近くし賞味する時に生じる生き生きとした奇妙な反応、とセガレンは覇旅の中で問いた
"自分とは何であり何でないかを感じるものだけが、素晴らしい感覚を十分に味わうことが出来るだろう"
主体と客体の生き生きとした感覚がなくならないように対象の中に入らないこと理由にセガレンに強く共感した