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昭和20年3月5日招集”22年11月22日頃招集軍隊生活2年8ヶ月位その⑦

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十二◦四

死体を取りに病院よりトラック来る
急に入院することになる
嫌だな 入院すれば此の収容所に歸れぬぞ
雪の中を病院へ 入院する時

シャヤア(シャワー)で体を洗ふ
前の毛 ワキを毛を剃る 病衣に着替える
自分の持物 梱包番号付 倉庫へ
食器 日用品を持って病室へ
四号室 金井内科 病名ジン臓

十二◦五

病院生活(二度目)
戦友 鈴木 村山 伊藤 細野 鶴岡 在蒙中の友
桐田 一柳に對ふ

朝食 アズキ 晝飯 パン 夜 米かゆ
量は少し
注射を毎日する

外は吹雪 寒いぞ
内便所がダメで百米先の外便所(イクノガツライ)

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一•一
来年の正月は内地だぞー 話が弾む
余興がある 小豆飯 豆甘煮

各作業場の話が出る ツライ作業場 石炭山
石灰山 羊毛工場 又、歸隊話が出る
今年こそ歸れるぞ

一•三
汁粉、夜 ウドン粉ダンゴ入かゆ
朝時々ノリ(ウドン粉を煮るにはヨワル) 
毎日寝たり起きたり体を十分休めて居る

一•三一
退院予定者となり階下へ

二◦四
トラック便乗 野村隊(第五)へ 五中隊へ編入

二•五
体内作業 収容人員千四百名

二•七
劇場の建築作業へ 寒いので一時間二五分休み


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日課朝五時起床 飯上 六時十分集合 同三十分出発
七時作業始 夜、六時集合歸営

二◦二一
蒙古の正月にて休み 亦、零下三十度以上の場合は
温度の下るまで収容所に待機
寒いので仕事がはかどらず 土砂の運搬穴掘り

三◦一
春部隊の者大分居る 亦、東京の者に話聞く
金子、杉崎、高野、鈴木、町内の収容所は色々物が買える(仲間同士)

又、盗人が多い 夜寝て居る時、又作業に行って居る時

三◦二六
四小隊 三班と変る 小隊長 漆崎?少尉毎日石灰箱に入れ
水に溶かして下の箱に入る作業 来月は歸れそうだ


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四◦一
待望の月だ 元気で 夜ブタ雑炊

四◦五
本月より作業時間 朝七時ー夜7時迄
定量出来なければ残業 まだ少し寒い

四◦一〇
作業運搬班
レンガ、砂、砂利、セメント、鉄類
積込、積下し、レンガの時は手袋してやる 一番汚れるのはセメントだ
作業も飽きた早く歸りたし

四•二九
天長説、炊事より夜 うずらの甘煮 
今月も駄目か

五◦一八
体を入浴、衣服の熱気消毒 シラミ退治
山も青々として春めいて来た 歸隊話も消へ
七月だそうだ おしよろ様(お盆)かな

六◦一
休み 一日寝て暮す

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六•一三
今日は佐官班がレンガを三万五千枚積むそうだ
部隊長、炊事班の体の良いのが応援に来る
佐官四十人 二階、三階だから大変だ レンガ運搬一人は
九百枚運ぶのだ 予定の時間迄に出来上る
炊事の連中は栄養が良いのか二倍位動くぞ

六◦二一
満人が砂利を運んでくるのを下してやる
満人も入蒙以来三十年位だそうだ、だまされて来て今は國に歸る事も出来ない
貴方方も警戒兵が警戒しない様になったし歸れませんよ
入蒙した者で歸った者はないですよ 心細い話だ
亦、ノモンハンより連れてこられた者数人ある事、色々の話を聞く

蒙古での抑留生活も一年を超えて、正月を迎える
戦友達との再会、束の間のご馳走

そしてまた重労働、内地への帰国の話も出るが、真相はわからない、いつ帰れるのかもわからない、心身共に生き残るしかない

追い打ちをかけるように冬の厳しい寒さもまた訪れる

抑留者は満州人も一緒に蒙古に連行されている事がわかる
新しい土地を約束されて来ては見たものの荒れ地の開拓を日本人抑留者と行なっている

ソ連、蒙古の抑留者の帰らぬ遺骨は2024年の今も厚労省、外務省を通じて行われている、79年の戦後の時間は無惨にも墓地や遺構も風化させていている

以前ロシアから返還された日本兵の遺骨数十柱はDNA鑑定の結果、全て違ったという間違いもあった
また日本人以外の強制労働者達もいた証拠である
戦争は貧しき人達が全てを被る図はずっと変わらない

言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!