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昭和20年3月5日招集”22年11月22日頃招集軍隊生活2年8ヶ月位その⑥

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八•一九
レンガ造りやめた
レンガ運搬、定量なんか出来るものか
毎日七百名位、なんとか誤魔化して七時に歸る

現在は大豆の変わりにに小豆飯になり晝のパンが出来ず食べさせぬ日が五回もあった
それで仕事をしに行くは無理でせう
小豆、大豆飯にても体が良く持って仕事が出来るものだな

八◦二一
佐藤隊全部移動百名、チャワンサラ?小林隊第五収容所四キロ行軍、小林隊長訓話
一本の木もやる気がやれば輜くやる気がなければ重い

明日より共産大夲建築現場へ 入浴三人湯舟に入れる 1年振りだ

八二•二
朝五時起床、朝食、六時集合、約二キロ共産大夲作業場へ



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作業始めにラッパの合図、雑役 晝一時間休み スープ
午后三時三十分休み三十分 増食として毎日でる
アンコの入って居る万頭、ウマイなーーー

九•一
佐藤隊一部三十名石炭山へ行く(前川)、ガラス切り、パテにてとめる作業 室内作業

九•一五
各収容所の食事が違う 朝アワかゆ、晝パン、夜米かゆにおかず(キャベツ塩漬け)
今迄は夜雑炊、ここでは晝飯のパンが朝早き為夜上る
量が少ないので夜食と一緒にパンを喰る者が多い、飯の量が少なき為、満腹する事なし

九•二七
室内作業終わりて輸送班となり毎日トラックに乗り全身運動品物を取りに行く
町の作業場には日本人が働いて居る

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又、品物を取りに行くと他の収容所の連中が居るので色々の事がわかる
今町で働いている所は、第三収容所(野村隊)、外務省、劇場、図書館
第一収容所(小林隊)蒙古政府ホテル

我々の第五収容所(小林隊)共産大夲、蒙古大夲、領事館
マッチ工場、製材所

石灰山の長門隊 ⚪︎中山隊石灰山 ⚪︎吉村隊羊毛工場
ガンドンレンガ工場 セレベスレンガ工場
ホジルブラン(山)レンガ工場、アスラルト(本部)レンガ工場
町内の作業場(建築)等々




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一〇•十一
小林隊よりサシンアラム?製材所に轉出 七十五名
作業は材木運搬、自動車にて山より来る材木引下し
朝七時より夜七時迄 だんだん寒くなる

十•一九
日曜休み三週間に一回 寝るが楽しみ
現在のきょぐう(境遇?)は喰べる事寝るのが一番、格言か
「人の和は喰べる事にあり(分配法平均)友達(人)の気持ちは今の生活の中で良くわかる
物がなくなり、晝飯のパンがとられたりする事あり
功刀と隣り合わせ面度見合ふ

十◦二三
体の具合悪く作業が辛い

十◦二八
入蒙以来丸一カ年早いものだな



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十一•五
明治節 楽しみの一つ、赤飯(飯盒のフタに平らに一杯)肉とキャベツのおかず
晝はパンの代わりに万頭二つ(アンパン位の大きさ)

十一•七
身上調査、一一二、七八九六番号

十一◦十
楽しみな十一月が来たけれど歸還の話消え来年の三月だとさ、がっかり
約三キロ先のズアラム製材所に応援、寒さも次第に強くなってきた

十一•二五
体の具合悪く作業休 室内清掃、ペエチカも

十二◦一
勝見曹長死亡、通夜、供物に上て居たパン一本(二キロ)紛失
勝見氏は盗むのが名人なりしが敵を討たれたかな



入蒙以来一年と抑留生活の様子をこの章でも読み取る事ができる
わずかな食事の中に餡子を食べれた時の喜びが伝わってくる

モンゴルの無数にある日本人収容所とそれぞれの担当の持ち場があり作業場までの移動中に他の抑留者の働く姿を見かけた様子は感慨深い

朝五時に起きて夜中まで重労働、体調は何度も壊している、時々作業をサボっている様子が伺えるが、監視側も日本軍の上官が行なっていたので身内に優しい隊では、休ませてくれる事もあったようだ

そんな中、最後の一文では、
曹長が亡くなり、私物のパンが紛失したことに皮肉っているが、他の同胞の食料などの盗みをやっていたのを先代は見て知っていたのだろう

過酷な環境で一つ正しくいられる事の厳しさと人間の弱さを見てしまった

言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!