20 未来を生きる子どもたち
記念すべき20回目の投稿です!
「1テーマ(1000〜2000文字)で50記事書けたら一冊の本になる」というような内容を書籍(「組織のネコ」という働き方)で読み、50はたぶんは無理だから、まずは20を目指そうと始めたこのnote。
はじめのプロットとはだいぶ変わっていますが、一応目標達成です。
さて、今回の題名は「未来を生きる子どもたち」。
わたしが、この記事のテーマである「子どもが主役になる授業づくり」を考える原動力となる内容です。
教師は「経験」と「感覚」を大切にしすぎる仕事だと思います。特に「経験」がものを言い過ぎている感じがします。
でも、加速的に変化し続ける社会で、その「経験」が生きることってあんまりないと思うのです。ここで言う「経験」は、学校教育の中で盲目的によしとされてきたものをさします。(みんな仲良く とか 心を一つにとか…)
わたしは教師になって約20年ですが、なりたての平成10年代後半の授業と、いまの授業はだいぶ違います。(変わらない人もたまにいるけど。)
それはわたしの変化だけでなく、社会の変化なよるものです。
以前の記事で、学校のイメージが変わっていかないことを書きましたが、本当にこのままではまずいと思っています。
日本人の気質なのか、学校という閉鎖的な環境のせいなのか、だいぶ気合をいれないとこれからも簡単には変わらないと思うのですが、
わたしは、
目の前にいる子どもたちは、確実にわたしが生きる未来より、ずっと先の未来を生きるのだということ。
その未来は、想像できないほどの変化を遂げた、変化し続ける社会だということ。
を考えると、変わらない選択肢は思いつかないのです。
その未来をつくるのがいまの子どもたちであり、その子どもたちを育てるのが教育、学校、日々の授業です。
未来で使えない「経験」にしがみついていることほど無意味なことはない。しかも、超がつく多忙な中で無駄なことなんかに時間を費やせないわけです。教師の仕事はコスパが悪いって聞いたことがあるのですが、使えないことのために働いてブラックで、コスパが悪かったら、目も当てられません。
未来を生きる子どもたち。
やっぱり学校は「自律」のためにあると思います。子どもたちが、どんな未来でも自分の足で立ち、考えて、行動するための授業をつくりたいと考えます。
「不易流行」
の不易を見抜くためには、流行に足を置くべきという話を聞いたことがあります。(それを話してくれたのは、定時で帰る管理職。サケの一匹です)
大切なものを忘れずに、
挑戦と変化を恐れない教師でありたいと思います。
keep trying
そのために、
組織のトラを目指し、
当たり前にとらわれない働き方を考えていきます。
今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございます!感謝です!
(これからもたぶん21回目が続くと思いますので、そのときはよろしくお願いします!)