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【AtoZ】 Whistle CAFE 吉田和生さん 〜11年間愛され続ける所以〜
"AtoZ"インタビュー企画第三弾。WhistleCAFEオーナーの吉田和生さんにお話を伺いました。アパレル業界から不動産へ転職し、2013年にカフェを開業した吉田さん。高校の道徳の授業がきっかけで「衣食住」に携わりたいと決意した背景や、流行を追わないメニュー作りの哲学、コロナ禍での試練を乗り越えた経験とは!?今年11年目を迎えるカフェを支えた「つながりの大切さ」も必見です。
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東京都出身。「衣食住」に携わる仕事がしたいという想いから、文化服装学院を卒業後、アパレルメーカーに2年半勤務。その後、不動産会社に11年間転職し様々な知識を得た末2013年WhistleCAFEを立ち上げる。現在では11年目を迎え老若男女を問わず幅広い世代から支持を得るお店に。
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きっかけは高校の道徳の授業
中村) 以前、「衣食住に携わる仕事に就きたいと高校時代から思っていた」と仰っていましたが、どういった経緯だったんですか?
吉田) 実は、 高校時代に道徳の授業で将来について考える機会があって... その時に頭の中に急に思い浮かんだんだよね。
中村) 道徳の授業がきっかけだったんですね。 WhistleCAFEを立ち上げる前には、アパレルの道を新卒で就職されていますよね。 最初にアパレルを選ばれたのはなにか理由があったんですか?
吉田) 僕、実はファッションがめちゃくちゃ好きだったの。 高校時代とかは、週5とかでアルバイトをして、その給料を全部中目黒とかの古着屋で売っている服とかプレミアムスニーカーとかを買うためにつぎ込むみたいな少年で(笑)。
中村) ファッションは誰かの影響で好きになったんですか?
吉田) 高校1年生からずっとアルバイトをしていたミスドの先輩が古着を着ていてめちゃくちゃかっこよかったんだよね。
中村) 身近に影響を受ける存在がいたんですね。
吉田) 高校1年生のときから大学生とか先輩に可愛がられて休日は車で古着屋巡りとかよく連れて行ってもらってたね。
中村) 高校の時から大学生と遊びに行くってけっこうませてますね(笑)。
吉田 そうなんだよね(笑)。 アルバイトが終わって24時から車で富士山の麓まで行ったりとか、山梨で日帰り温泉に入ってその後にほうとうとか食べて帰ってくるみたいな...
中村) THE大学生みたいな生活ですね(笑)。
大躍進のアパレル時代の裏側
中村) 最初に就職したアパレルにはどれくらいの期間勤められていたんですか?
吉田) 年数でいうと、2年半くらいかな。 当時代官山に5~6店舗位を構えていた某アパレルメーカーに勤めていたね。
中村) 意外と短いんですね。
吉田) そうだね。 でも、僕はその短い期間で色々経験させてもらって… 広報・プレスからデザインのところまで全部やったかな。 ショップでの販売ももちろんやりましたよ。
中村) え、そんなに2年間でやらせてもらえるものなんですか!?
吉田) 僕が文化服装学院出身っていうことも大きいかもしれないね。
中村) というと、?
吉田 文化服装学院の学生ってファッションとか流行への感度が高いんですよね。 だから来年何が流行るとかも分かるんですよ。 それで、店長たちが「吉田っていう文化服装学院出身のすごいヤツがいる」みたいになって引き上げてもらったね。 そこの本社の部長とかも文化服装学院出身だったのもあるね。
中村) 文化服装学院ではどんなことを学んでいたんですか?
吉田) 僕は、文化服装学院のファッション流通科のスタイリストコースにいたんだけど、スタイリストコースなのに卒業するときには1枚のジャケットを布から切って作るところまで学ばされたね。
中村) 文化服装学院時代の思い出とかってありますか?
吉田) 本当に色々あって何時間でも話せるんだけど...(笑)。 僕が当時通っていたファッション流通科っていうところは、3年生の時にクラス分けがあって... 僕が行ったファッション流通専攻科は1000人中70人しか入れないほど難関だったんだよね。 そこで70人中1人しかなれないクラス委員長もやって、文化服装学院の学園祭のファッションショーでの音校っていう部門の代表も兼任してたね。
中村) 早稲田祭でいう男祭りの人が早稲田王にもなるみたいな感じですね(笑)。
吉田) 昔話の深堀りとかいくらでも出てくるんだよね(笑)。
どんなに大変な時でも明るくポジティブに。
中村) 吉田さんの話を伺っていると、いつも目上の人とどこでも仲良くしている印象があるのですが、可愛がられる秘訣とかってあるんですか?
吉田) 3つあるんだけど... 1つ目は、まあ、当たり前のことかもしれないけど、人の悪口を言わない(笑)。 2つ目は、自分の人生のテーマとも言えるんだけど、大変な時とか忙しい時にも「疲れた」とか「嫌だな」と思わないようにしていることかな。 同じ内容をするなら嫌だと思いながらやるより楽しくやったほうが絶対いいじゃない?だから、「これが終わったらこんな楽しみが待ってる」とか「こんな自分になれる」とかポジティブに捉えるようにしていたかな。
中村) そういう思考の転換みたいなものは誰かから教えてもらったんですか?
吉田) いや〜、元からかな。 でも、今思うと結局僕のことをかわいがってくれていた先輩たちも、そういうポジティブな人たちばっかりだったからつられていたのかもしれないね。
吉田) あともう一つは、"人は人"だと思っていることも大きいかな。 僕、人を羨ましいと思う感覚が極めてないんだよね(笑)。 例えば、すごいお金持ちの人は庶民にはわからない悩みがあるだろうなあって思うとか。 みんなが羨ましがっていることに対しても、常に疑問の視点を常に持つようにしていたかな。
Whistle CAFEの立ち上げから現在まで
中村) 話は変わりますが、WhistleCAFEを立ち上げる前にアパレルから不動産に行った経緯はなんだったんですか?
吉田) もともと衣食住を全部やりたかったっていうのはまず前提としてあって。 アパレルを辞めてからすぐカフェをやろうかなとも思ったんだけど、やっぱりカフェを始める上で先に不動産に入る必要があるんじゃないかって気づいたんだよね。 例えば、カフェを始めるってなったら、まず必要なのって場所じゃない? その時にお店をどこに建てるかとか、どうやって土地とか物件を借りたり買ったりするのかとか... アパレルを辞めてからカフェをすぐ始めるにはあまりに知識が足りなすぎたんだよね。
中村) では、カフェの立ち上げの知識を身につける上でも不動産への就職は重要だったんですね。
吉田) そうだね。 不動産の知識がなかったらこの場所(高田馬場)の物件を見つけられなかったね。
中村) カフェの話でいうと、WhistleCAFEの看板メニューはワッフルですよね。これも看板メニューにした理由とかがあったんですか?
吉田) 実は"W"にかけてるんだよね(笑)。 ワッフルもホイッスルカフェも早稲田も。 サブリミナル効果を狙ってます。
中村) たしかに、全然気づきませんでした(笑)。
吉田) それに、いろんなオブジェで"W"が使えるじゃない?お客さんに早稲田を想起させて親近感を湧いてもらうっていうのが実はでかいんですよ。
中村) カーテンもえんじ色ですもんね(笑)
吉田) これは確信犯だよ(笑)。
中村) ちなみに、店内はレコードであったりミラーボールであったり、レトロな印象がありますがそこにもこだわりとかってあるんですか?
吉田) そうだね。流行り物を追わない主義っていうのが大きいかな。店内だけじゃなくて商品に関してもそうなんだけど、ワッフルを看板商品にしたことにも実はもう一つ理由があって...流行商品じゃなくて普遍的なものがよかったんだよね。
中村) 普遍的なものですか?
吉田) 10年くらい前って圧倒的なパンケーキブームがあったじゃない?だけど、そこに乗っかる気はなくて。いつの時代もワッフルって流行りきらないんだよね。ワッフル以外にもうちのメニューってコラボとか限定メニュー以外のものっていうのはめちゃくちゃ定番のものしか置かないようにしていて... それも戦略だったりする。
中村) 流行は追わないんですか?
吉田) 追わないね。 タピオカとかナタデココとか、流行ってすたれてしまうんだよね。 流行り物だけで来るお客さんは流行りが終わったら来なくなっちゃうじゃない? それに、流行による一時的な混雑で常連さんが来なくなってしまうことも防ぎたいしね。
中村) 常連だったお店が並んで入れなくなってしまったらかなりショックかもしれません。
吉田) カフェって、今は「カフェ」っていう名前が通用するけど、喫茶店は昔カフェっていう名前がなかったから喫茶店だと思うの。 だから、今後はそういう感じでカフェの次の「何か」が出てくるかもしれないじゃない? その時に、カフェが今の喫茶店みたいな立ち位置になれればいいなって。 今の世代が年を重ねたときにくつろげるスペースでありたいね。 40年前から今まで残っている喫茶店ってきっとそういうことじゃない? だから、うちは、今の学生たちが大人になったときも通い続けられるようなカフェを目指しているよ。
中村) そうだったんですね。 たしかに、WhistleCAFEの様子を見ているとお客さん同士のつながりというか...コミュニティ的な側面が強いですよね。
吉田) そうだね(笑)。 この前、うちのアルバイトの誕生日をやった時とかもものすごい人数が来てくれたんだよね。 18卒の"早稲田界隈飲み"みたいな(笑)。来てくれたOBたちは、はじめまして同士のところもあったけど、ここで新たな繋がりが生まれて面白かったね。
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中村) 18卒の方が6年経っても来てくれるのって嬉しいですね。
吉田) 2018、2019とかのコロナ前の盛り上がりってほんとにすごかったからね。 うちって、月曜日が定休日なんだけど、定休日に全部貸し切りが入って60何連勤とかとか(笑)。 大学で「カフェ進化論」っていう講演もしたし…
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まあでも、うちのカフェに関しては成功体験よりも絶望体験のほうが強烈に印象に残っているね。
貸し切り95パーティーキャンセル!?突然の危機
中村) どんなことがあったんですか?
吉田) コロナで貸し切りパーティー95組が一斉キャンセルとかかな。あの時は本当にやばかったね。 卒業パーティーも新歓の貸し切りも全部キャンセルで10月まで早稲田は閉まってたからこの街に全く学生がいないみたいな...コロナ禍ってもう何年か経って忘れがちだけど人と人が接することがダメな時代だったじゃない?"StayHome"とか"濃厚接触"とか... 18時にお店も閉めなさいみたいな決まりもあったよね。それがきっかけでよりサウナに通うことになったんだけど... サウナについては話し出すと長くなっちゃうから割愛で(笑)。
中村) もう数年経って忘れがちですけどそうですよね...でも、そのコロナ禍はどうやって耐えて持ち直したんですか?
吉田) 一つは、テイクアウトに路線を切り替えたことかな。UberEatsとか、テイクアウトメニューを増やしたり、ランチタイムに常連さんが来てくれたりしてなんとかしのいでいたね... でも売上は通常の3割くらいにしかならなくて本当に大変だったね。 それまで買い替えようと思って貯めていた車代を全部切り崩すことになってしまったね(涙)。
中村) コロナ禍で想像を絶する苦労を経験されたんですね…
吉田) あとは、クラウドファウンディングが大きかったかな。 OBOGだったり、現役生の親御さんだったりのおかげで11日間で100万円を達成できたのはとてもありがたかったかな。
中村) 11日で100万円!?
吉田) そうそう、だから"つながり"に支えられて11年間続けられてきているって実感するね。
中村) コロナ禍での大きな苦労を乗り越えて今があるってことなんですね。ちなみに、今後の展望とかはあったりされるんですか?
吉田) これはオープンした時からずっと言ってるんだけど、基本ベースは現状維持だね。 でも、あくまで現状維持だけど、昔からの繋がりはより勝手に強固になっていくみたいな。 それが一番いいのかなって思ってるよ。
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インタビュー / 文 / 編集 / 写真 : 中村 結 (早稲田大学 人間科学部 4年)
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