映画レビュー「ヴォルテックス」 死の霊的プログラム
映画の冒頭に老夫婦が聞いているラジオ番組に出演している心理学者が、親しい人間の死を受け入れるための、人間による儀式的な行為についての考察を語っている。気を抜いていると聞き逃してしまうような伏線だけど、ここでこの映画は二人の老人の死を受け入れるための儀式のような映画だと宣言していると思う。
老人の死はある意味自然の必然の法則のようなものと考えている人もいるかもしれないけど、老人の死にも映画(物語)のような儀式性はある、冒頭のラジオ番組の心理学者は死は霊的なプログラムだとも語っている。
高齢者はただ老いて死んでいくのではなく、現にこの世界にいたはずの人間がこの世から徐々にいなくなるように消滅していく、監督はひとりの人間の終わりに霊的な何かを見ている。(フェイドアウト?)
画面が分割されているのは、おばあさんは記憶が曖昧になってある意味そこは夢の中のような世界といえて、でもおじいさんは浮気なのか他に好きな女性がいて、まだ俗世間にいるという意味なのかもしれない。
これも冒頭の心理学者の発言だが、過去は現在の時点で描かれた過去の描写ということなので、おばあさんは監督の考えでは認知症というより今までの記憶している過去とは違う別の過去を彷徨っていると考えているのかもしれない。
ヴォルテックスは渦という意味らしく、過去の記憶が時間の渦に吸い込まれていく過程が死という解釈なのかもしれない。
中には、ただ老夫婦の脳機能が徐々に壊れていって、心臓が止まるまでを描いた映画だと言う人もいるかもしれない、でもおじいさんは映画(人生)は夢だという本を執筆中で、だからおばあさんの現実の人生も、ある意味で映画のような、夢の中の世界のようなプログラム性があるとも言えて、だから映画の登場人物がエンドロールと共に消えるように、現実の人間も現実の人生から消えていくような感覚を描いている映画の気がするのだが。