
古典擅釈(24) 共感するということ『徒然草』①
激動の時代には、その先駆けとなる「過激派」が誕生するようです。
建武の新政なる九年前の元亨四年(1324)九月、六波羅探題は後醍醐天皇の討幕計画を察知し、検非違使別当日野資朝と蔵人内記日野俊基を召し捕らえました。
正中の変と呼ばれる事件です。(元亨四年は十二月に改元されて、正中元年になりました。)
資朝も俊基も後醍醐天皇によって抜擢された人物で、ともに宋学を究めていました。
宋学とは朱子学のことで、その頃、大陸からもたらされたばかりの最新のイデオロギーです。
朱子学は大義名分を重んじ、王朝の正閏(正統か異端か)を論じる学問でしたので、東夷(鎌倉幕府)に王権を侵犯されていると考える朝廷の精神的支柱となりました。
正中の変は、北野祭の騒ぎに乗じて六波羅を攻め、南都の衆徒や畿内の武士を味方にして都の守りを固め、鎌倉に攻め込むという粗雑な討幕計画が漏れたもので、『太平記』や『増鏡』にもその顛末が綴られています。
ところが、その主役である資朝と俊基のことは、案外に描かれていません。
それでもまだ俊基の方は二、三のエピソードを残していますが、資朝本人については、『太平記』に佐渡で斬首される直前にわが子阿新と対面できない悲しみを述べる一場面を除いて、ほとんど何も語られていません。
ただ、後醍醐天皇に重用されたことや、山伏の姿をして関東に下向したこと、事件後に佐渡に流されたことなどを記すばかりで、資朝の「顔」は見えてきません。
『徒然草』には、その資朝の人柄を生き生きと描いたエピソードが三話伝えられています。
いったい『徒然草』という随筆は、激動の時代に成立しながら文中にそれをほとんど感じさせない書物で、この資朝に関する話も、気づかずにいると、風変わりな一貴族の逸話として読み過ごしてしまいそうなものです。
〈百五十二段〉
奈良西大寺の長老静然上人は、腰は曲がり、眉は白く、見るからに徳の高い有り様をした方である。
この方が参内なさった時に、その姿を内大臣西園寺実衡殿が目に留めて、「ああ、尊いお姿であることよ」と感嘆されたことがあった。
実衡殿の信心深げな様子をそばで見ていた資朝卿は、冷ややかに「ただの年寄りです」と申されたとのことだ。
後日、毛のはげたむく犬で、年老いて見苦しいほどに痩せ衰えたのを下人に引かせ、「この犬は実に尊く見えることでございます」と言って、内大臣殿に献上したそうだ。
因みに、上人七十歳ほど、資朝と実衡は同年配で三十歳ほどの話です。
西園寺家は、幕府との折衝にあたる関東申次の職を世襲し、朝廷における保守派貴族の代表でした。
実衡が実際に内大臣に昇進したのは、正中の変の起こった元亨四年のことです。
〈百五十三段〉
大納言京極為兼殿が召し捕られて、武士どもが取り囲み、六波羅の庁に引き連れていったことがあった。
資朝卿が都の一条大路の辺りでこれを目にして言われた。
あなうらやまし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ。
ああ羨ましいことよ。この世に生きる思い出として、あのようでこそありたいものだ。
京極為兼は藤原定家の曾孫で、『玉葉集』の撰者として有名な歌人です。
政界の重鎮でもあり、実衡の祖父、西園寺実兼に仕え、伏見天皇の側近となりました。
為兼が六波羅の手によって逮捕され土佐に流されたのは正和四年(1315)、為兼六十二歳、資朝二十六歳のことです。
為兼逮捕の理由は明らかではないようですが、伏見天皇の信任を得たことを実兼がねたみ、六波羅に讒言したからとも言われます。
実は、為兼はこの事件の十七年前にも幕府に逮捕され、五年間佐渡に流されていますから、筋金入りの反幕の闘士であったのかもしれません。
為兼の剛毅な態度に資朝も賛嘆の言葉を発したのでしょう。
守旧派の実衡が静然上人のうわべに感動したのとは対照的に、革新派の資朝は為兼の内実に感激したと言えます。
〈百五十四段〉
資朝卿が東寺の門に雨宿りをなさったことがあった。
その時、不具の者たちも集まっていたが、手足の曲がるその姿を見ながら資朝卿は「どの者もそれぞれに類いのない変わり者である。大いに愛する値打ちがあるものだ」と思って見守っておられた。
しかし、そのうちに興味を失い、いとわしいものに感じて、「ただ素直で珍奇でないものには及ばない」と思うようになった。
屋敷に帰ってから、「ここのところ植木を好んで、風変わりで曲がりくねっているのを求めて、目を楽しませてきたのは、あの不具の者たちをおもしろがるのと同じであるよ」と考えて、つまらないと思い、鉢に植えていた木々を全部、掘り捨てなさった。
いかにもありそうなことである。
障害のある人たちに対する資朝の見方は、私たち現代人には認めることができません。
ただ、まっすぐなものを求めようとした資朝の精神を読み取ることはできます。
資朝の事跡を知れば、兼好と同じく「いかにもありそうなことだ」と言えそうです。
〈続く〉