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古典擅釈(2) 本心を語るということ『伊勢物語』②
『伊勢物語』は愛の短編集です。
有名な部分ですが、中から二話、紹介します。
「芥川」(第六段)
昔、男がいた。
自分とは釣り合わない高貴な女性に、幾年にも及んで求婚し続けてきたが、ある夜、大胆なことに女を盗み出して、暗闇の中を逃げてきた。
芥川という川のほとりを、女を連れて行くと、草の上に置いた露が光るのを見て、女は「あの光るものは何」と男に問うのであった。
逃げ行く先はまだ遠く、夜もすっかり更けてしまった。
男は、そこが鬼の住む所だとも知らなかった。
そのうちに雷までも鳴りだし、雨脚も激しくなってきたので、あばら家となった蔵の奥に女を押し入れ、自分は弓を手にし、やなぐいを背負って戸口を守っていた。
「早く夜明けにならぬものか」と思っているうちに、鬼が早くも女を一口に食ってしまった。
女は「ああっ」と叫んだのだが、雷鳴にかき消されて、男の耳には届かなかった。
やがて夜も明けてきたので、男はほっとして蔵の中を伺うと、連れて来た女の姿もない。
男は足摺りをして泣いたが、もうどうしようもなかった。
白玉か何ぞと人の問ひし時つゆとこたへて消えなましものを
あの光るものは白玉かしら、何かしらとあの人が尋ねたとき、あれは露ですよと答えて、我が身もその露のようにはかなく消えてしまえばよかったのに。
「梓弓」(第二十四段)
昔、男が片田舎に住んでいた。
男は宮仕えに行くと言って女と別れ、都に出かけ、それっきり三年たっても音沙汰がなかった。
待ち侘びる女に、心を込めて言い寄ってきた男がいた。
女がその男に「今夜逢いましょう」と約束したちょうどその日に、元の男が帰って来た。
元の男が「開けてください」と戸をたたいたが、女は開けないで、ただ男に歌を詠みかけた。
あらたまのとしの三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ
三年という長い年月、あなたを待ちかねて、私はちょうど今夜、別の人と夫婦の契りを結ぶのです。
女が家の中からこのように詠むと、男は、
あづさ弓ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ
幾年も私があなたを愛したように、新しい夫に愛されて幸せに暮らしてください。
と詠んで、立ち去ろうとした。
すると、女は元の男への未練が生じたのか、
あづさ弓引けど引かねどむかしより心は君によりにしものを
あなたが私を愛そうと愛すまいと、私は昔からあなたに心を寄せてきたのですから。
と詠んだのだったが、男は行ってしまった。
女は悲嘆にくれて男の後を追いかけていったが、追いつけずに、清水のわき出るところで倒れてしまった。
そして、その場の岩に、指の血で歌を書きつけた。
あひ思はで離れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる
私を愛してくれずに離れてしまう人を引き留めることができず、我が身は今、消えてしまいそうです。
こう書くと、女はその場で死んでしまった。
美しくも哀しい純愛物語です。
許されぬ恋ゆえに、燃え上がる情熱のままに女を連れ出してしまった業平。
妻と新しい夫との愛を祝福しつつ、自分は立ち去ろうとする昔男……。
しかし、この「思い」は果たして“ほんもの”なのでしょうか。
女の姿がないことに気づいた瞬間、業平は確かに「自分も露のように消えてしまえばよかった」と思ったかもしれません。
ですが、同時に、ふと肩の荷が下りたような解放感に襲われなかったとも限りません。
妻を別の男に奪われた話など、ひょっとして内心、しめた、と思ったかもしれません。
いえ、業平を揶揄したいというのではありません。
愛の本当のところなど、誰にも分からないと思うのです。
一人の異性を二人が愛したとき、一方の愛が、もう一方よりも深いと果たして計量できるでしょうか。
相手を思いやって身を引いた方と、強引に相手を奪おうとした方と、どちらの愛が深いかなんて、軽々に断定できるはずがありません。
もちろん、結婚詐欺師のように、愛を騙る悪質な者もいます。
ですが、純愛にしたって、どれほど周囲を偽り、相手を欺き、自分を騙してきたことか。
愛の陶酔は、嘘も偽りも、その外あらゆる障害を乗り越え、ひたすら突き進んでしまいます。
そう、業平の場合も何よりも自分を幻惑しなければ、あれほど激しく、または清らかに相手を愛することはできなかったでしょう。
〈続く〉