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失うということ。自分を創っていくもの
あるインスタグラムの投稿で
宇多田ヒカルさんのお話が印象に残っていた。
みんな何となくさ
生きる、生きる上でこう。
何か欠けてる気がして、なんかほしくなったり
広告をみてそれ私もってない、それがあったら私幸せになれる
みたいな錯覚に陥って
ものを手に入れることに、エネルギーが行っちゃいがちじゃない?
だけど
ほんとは、
すごくほしかったんだけど手に入らなかったもの
もしくは失ってしまったもの
っていうほうが大事なんじゃないかなーと
おもって
そういうことが
人間を、なんていうの自分らしくしてく、っていうか
創ってく、んじゃないかなっと
私はあまりにも失ってきたものが多かった
やりたかった夢、理想、ビジョン、希望。
その時は心の底からやりたいと思っていても
期が熟していなかったり
私が未熟だったり
夢ですらなかったのかもしれない。
一体私の人生の舟はどの方向に帆を張っているのだろうか。
旅をすることを渇望している自分がいる。
行き場のないこのエネルギーを
自分を見ることに全集中させる。
そうすると見えてくるものがあるような気がする。
私とは何者で、どの島に向かいたいのか。
この時間が確実に自分を創っているような気がする。
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旅をしているときの私は
こんなにも私らしい
いとおしい自分よ
陽