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読んだ本の感想「令和元年の人生ゲーム」
「まだ人生に、本気になってるんですか?」
この新人、平成の落ちこぼれか、令和の革命家か――。
「クビにならない最低限の仕事をして、毎日定時で上がって、そうですね、皇居ランでもしたいと思ってます」
慶應の意識高いビジコンサークルで、
働き方改革中のキラキラメガベンチャーで、
「正義」に満ちたZ世代シェアハウスで、
クラフトビールが売りのコミュニティ型銭湯で……
”意識の高い”若者たちのなかにいて、ひとり「何もしない」沼田くん。
彼はなぜ、22歳にして窓際族を決め込んでいるのか?
世代間ギャップがあるなんて当たり前
育ってきた環境も教育も違う人だし
〇〇世代はこういう人達なんだと言われても全員がそうとも限らない
理解したいけど、年重ねるほど違う世代を理解までに時間がかかってしまう
理解するためにはやはり読書は大切なんだなと思わせてくれる本です
少し前はゆとり世代とかさとり世代って言ってたことが今度はZ世代に名前を変えている
これからも名前を変えてでてくるのだろう
以前読んだ凪良ゆうさんの「星を編む」で
『的外れ、プラス勝手な決めつけ。それもしかたない。自分の価値観の中で整合性の取れる物語を作る。それが一番簡単で気持ちのいい他者への理解の方法だからだ。』
という一文があった
たしかに自分の価値観の中で整合性がとれる物語を作ってしまえば理解は簡単だ
でもそれでは自分の頭の中で完結してるだけで、他者を全く理解していないのと同じなのではないだろうか
簡単な方法を選ぶことに慣れてしまっていいのだろうか
わからないことがあることってそんなにダメな事なのだろうか?
物心ついた時から人間観察が好きで行なっていた
理解できる人も沢山いたし、理解できない人も沢山いた
色々理解しようとして努力してみたけどわからなかったという結論がでてもいいと思う
なんでも答えがないと満足しなくなってしまっている気がする
そもそも全部理解できるほど優れているのか(自分は優れていないので最初からできると思っていないです)
本作の中にもいわゆるZ世代と言われている人がどのように生きてきたかがわかる文章がある
言われてみると、昔からそうだった気がする。
KYという単語は遥か昔に死語になったが、私が育ってきた時代のキーワードは間違いなく「空気」だった。
空気を読んで、その場その場に相応しい言動を、いつの間にか共有されま透明のマニュアルブックから即座に引用する。それが苦手な子は、皮肉なことに空気のように透明になっていく。
それは「正しい」行動を等価で交換し合うゲームでもあった。欲しいものを、欲しい分量で相手に届ける。過不足があると「空気が読めない」と言われる。
心と心の触れ合いなんかではなく、TPOを弁えた笑顔で、「してほしい」ことをやりとりする
空気を読むことも大切だと思うが、全部の空気を読む力は人間にはないのではないかと思ってしまう
最初に書いた通り育った環境も受けた教育も違う
たとえ一緒だとして全部理解できることにはならないのではないか
読み終わった時、やっぱり読んで良かったーと思う本でした
是非ご興味ある方は読んでみてはいかがでしょうか
ここまで読んでいただきありがとうございます