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誰かが描けば良いとおもっていた あとがき

まず、このことを再考するきっかけをくれた友人に感謝しかない。ありがとう。

この話を友人と交わした時、うまく返事できなかった。辛いねとかしんどいよねとか曖昧な反応をしたと思う。どう思っただろうか。
会話の後もこのことをぐるぐる考えていた。
1〜2日考えて、とりあえず自分の今をまとめようと寝る前に一気に書き上げたのが先の『誰かが描けば良いとおもっていた』だった。

友人に1番に読んでほしくて、書き上げてすぐ報告して読んでもらった。
友人に描いて欲しいからとか(これについては強がりで本当にいい絵を描くから描いて欲しいのは山々だったけども)、その悩みから脱して欲しいからとかそんな大それたことは考えていなかった。

うまく返事できなかった申し訳なさが10%、とっ散らかった考えを整理したからみて欲しい気持ち90%だった。子供が何かを作って「ママ見て!」というのと同じだ。友人よ、ママ役をしてくれてありがとう。

この考えが巡っていた当時を振り返ってみると、とても良い状態ではなかった。
人より少しだけ描けるというだけで縋りついていた絵を描くということ。
いつしか描くという行為がとても大きな存在になってしまっていた。到底素手では倒せないモンスター。
自分で作り上げたそのモンスターを倒したくて、いろんなことを考え試した結果、描くことを続けることしか戦う方法はなかった。

毎日描く。ただそれだけでも少なからず自分の中で何かが変わり始めている。
今はまだ義務的に描いている節もあるけど、いつかモンスターを操り自由自在に乗りこなしたい、そんなワクワクも今は芽生えている。

どうかこの1ヶ月先の自分も、1年先の自分も、さらにその先も、描き続けていますように。

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