祖母の死を経て あとがき
名言集みたいなサイトを見ていたら新渡戸稲造の言葉を見つけた。
“自分が生まれてきたときより死に至るまで、周囲の人が少しなりともよくなれば、それで生まれた甲斐があるというものだ”
少しでも良くなればなんて期待はしないけれど、今の自分にはこの言葉が鋭く刺さって、5000円札だった人ということしか知らない新渡戸稲造がちょっとだけ好きになった。
この言葉を聞いて、心に溜めていた思いと記憶を文章化したいと思って書きました。
書き始めたら止まらなくなり結局上手くまとまっているのかもわからない文章が出来上がった。
書けば書くほど記憶が蘇って来て書いては添削、書いては添削。
これでも大幅に削ったのでまた祖母関連の話は書くと思います。
介護の時期は正直本当に辛かった。
眠れない日々が続いた。不満と不安も募った。色んな人に電話して話を聞いてもらった。ありがたかった。
ある日少し休んで寝落ちしていたらわたしめがけて祖母がテディベアを投げつけて来た。なんでこんなことするんだ!もう広島に帰る!と泣きながらキレたりもした。我ながら最悪すぎて笑ってしまう。
辛かったけど、楽しくもあった。
意識があったりなかったりが増えもう長くないと思った時に、せめて少しだけでも外へ連れて行けたらと父に話した。
次の日、外から「楓〜!」と父が叫ぶので窓から顔を出すと車椅子を押し走って帰ってきた。
近所のガラクタ屋(一応リサイクルショップと銘打ってはいる)で800円くらいで買ったと言っていた。
結局、祖母外連れ出し作戦は実現はできなかったが、今でも父のあの時の笑顔をふいに思い出し、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになる。