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14年ぶりの少林寺拳法


3つ前の投稿で、約14年ぶりに少林寺拳法を再開することをここに宣言した。


少林寺拳法に対する思いやなぜ再開するに至ったかの経緯を書いたのだが、先日、実際に稽古に参加してきたので、今回はそのときのことについて書いていこうと思う。



今年に入り、僕はすぐに家から1番近い少林寺拳法の稽古場に連絡をした。
1番近いと言っても、最寄り駅から4駅離れた場所なので、ギリギリ自転車では通えないぐらいの距離である(1駅でもぜんぜん電車使うけど)。

担当者とメールで何度かやりとりし、日程を決めて準備を進めた。

日程を決めてからはもうやる気満々でずっとわくわくしていた。

母親に何回も電話をし、ただただ少林寺拳法をまた始めるというだけの連絡を何度もした。

早く始めたいといううずうずした気持ちを、母親に電話することで消化していたのかもしれない。


技や作法などはほぼ忘れているので、youtubeで動画を見漁ったり昔の記憶を掘り出したりと、稽古場へ行く日が近付くごとにわくわくした気持ちを募らせていた。

だが、ここで一つ問題があった。

うん、髪が奇抜すぎる。

正確に言えば、赤が色落ちして真っピンクになっていた。

少林寺拳法は、礼儀や作法をとても重んじる武道である。
そんなところに真っピンクのやつが行ってもいいのか?門前払いされないか?すごくこわいぞ?おい?

と、不安の雨が降り注いでいた。

黒染めすることは簡単だったが、それはそれで躊躇いがあった。
なんか髪ピンクのやつが14年ぶりに少林寺拳法をやることに意味があるのではないかと、年々廃れていっている少林寺拳法に新しい風が吹かせるのではないか、今後の少林寺拳法はもう俺に任せろと、そんな意味合いを込めて僕は黒染めをしなかった。

そして当日、わくわくとどきどきを抱えながら稽古場へ向かった。
少林寺拳法は、というか武道全般は挨拶に始まり挨拶で終わるスポーツ。
なので、とりあえず大きな声で挨拶すれば問題ないだろうと、ドアを開けて元気良く挨拶をした。

「おはようございます!!」

道着を着た大人たちからの視線を一気に集める。

と同時に、その大人たちは顔の前で手を合わせ合掌のポーズをした。

(あ、そういえばなんかそんなポーズあったな)


僕も慌てて合掌。

少林寺拳法ではこの合掌で挨拶するのが基本で、それを僕は完璧に忘れていた。

故に、僕の元気良く挨拶作戦は失敗に終わった。

頬を赤らめながらへこへこしていると、仙人のオーラを身に纏ったおじいさんが僕に話しかけてきた。

(あ、絶対にこの人がこの道院の師範代だ)

出立ち、表情、話し方、その全てが師範代以外の何者でもなかった。

みんなが稽古している中、僕と師範代は椅子に座り、お互いの身の上話をした。

僕が吉本でお笑いをやっていること、約4年間組んだ同級生とコンビを解散したこと、小1から8年間少林寺拳法をやっていたこと、初段をとって黒帯を絞めたいこと、この道院のこと等、色々なことを話し、師範代は終始優しい表情で僕の話を聞いてくれた。

少し話しただけで、この人のような人間になりたいと思わせるほどの人格者だった。

僕がお爺ちゃん子だったということもあるかもしれないが、僕は一瞬でその師範代の虜になった。

師範代は「何回か練習に来て自分に合ってるなと思えばここに通うことに決めてくれたらいいから」と言ってくれたが、僕はもうその時点でこの道院に通うことに決めていた。

こんなに優しくて言葉に暖かみのある師範代に中々会えることはないのだから。
しかもオーラがもう絶対的強者すぎて憧れざるを得ない。

年齢はわからないがおそらく60代の後半、その60代後半の生物で1番強いんじゃないかと思わせるほどの余裕がその師範代にはあった。


僕の髪色がピンクだということには一歳触れず、若い人の考えや言動に対しても理解がある感じが話していてわかった。
僕のピンクに見向きもされなさすぎて、もう僕の髪色は真っ黒なんじゃないかと、なんなら坊主なんじゃないかと、そう錯覚させるほどであった。


ここで、僕は師範代に一つの疑問を投げかけてみた。

それは、稽古している人たちが全員大人でほぼ有段者であるということ。

僕が小学校の頃通っていた道院はチビっ子ばかりで、有段者などほぼおらず、声変わり前の甲高い声で賑わっていた。

なので、僕からするとこの状況が異質で、最初にした合掌よりも先にその違和感を感じとっていた。
想像していた道院の姿と違いすぎて、師範代に質問せざるを得なかったのだ。


「あの、ここは小さい子とかはいないんですか?」

「あー、それは僕の方針でね、道院にもよるんだけど、僕は少林寺拳法は子どもにあまり向いていないものだと思っていて、手首とか痛めたりするし、まあどうしてもと頼まれない限り子どもは入れないようにしているんだよ」

僕はこの話を聞いて心の中で思った。

(、、えええー!!やっぱりやっぱりー!!ほらほらやっぱりほらー!!俺の思っていた通りじゃーん!!ひゃっふーい!!)


皆さん思い返してほしい、3つ前の投稿を。
そして3つ前の投稿で僕が書いた言葉を。

少林寺拳法は、圧倒的に子どもに向いていないスポーツで、子どもに不向きな業。

そう、僕が個人的に思っていたことと全く同じことを師範代も思っていたのだ。

これはもう喜ばずにはいられない。
予想的中も的中だ。
万馬券どころの騒ぎではない。

僕の心は射倖心で満ち溢れた。


その日は皆さんに軽く挨拶だけし、見学をして来週から実際に稽古するということで一日を終えた。

そして、その日から今日までで僕はもう6回も練習に行き稽古をした。

思ったよりも稽古がスパルタで毎回、体のどこかを痛めて帰っている。

こないだなんかは硬いミットに何度も素手で突かされ、確実に両拳が折れたと思った。

段々痛みが引いているのでたぶん折れてはいないと思うが、もう少し緩めの稽古をお願いしたいものだ。
帰りの電車で赤く腫れ上がった拳を眺めていると、電車を乗り過ごしそうになった。

14年ぶりのブランクがきちんと僕にのしかかってきている。

だが、子どものときには気付けなかった少林寺拳法の良さがたくさんあり、もう一段階、人として成長できそうな気がしている。

小さい頃はただこなしていた技や型が、大人になってからではこんなにも違って見えるのかと驚いている。
あの頃は何も意識せず、気合いと根性だけで少林寺拳法をやっていたことに気付いた。

少林寺拳法の良さを今後は何らかの形で伝えていけたらなとも思っている。
なんならもう少林寺拳法芸人でやっていこうかなと勘繰ったりもしているぐらいだ。

早く黒帯を絞め、皆にその姿を見せたい。

黒帯を絞めた暁には、道着を着てキャバクラに行き、女の子たちに自慢したいものだ。

黒帯なんて絶対にモテるはずだから。


僕は黒帯を目指しながら、武道精神とは真逆のよこしまな気持ちも燃やしている。

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