「金は天下の回りもの」という超理論はあながち真理かもしれない
こんにちは!あいでんです。
昨日はついに長らく行きたかった always LUNCH 加盟店のところへ行くことができました。焼き肉定食は最高でした。
always LUNCH で今のところわかったのは「飯がうまい店はスープが美味い」です。
星陽 にて
▷金は天下の回りもの
最近になって急に物欲が出てきました。それはもう怖いくらいに。
しかも決済手段として現金のみならずクレジットカードや〇〇pay、さらには分割払いという手段を覚えた私はお金が湯水のようにあるようなそんな気分です(バカ)。
そしてお金が全てではないけれど、たいていの物事はお金で解決できるという圧倒的事実にも気付き始めました。当たり前だけどやっぱりお金って大事なんやなあ…。
お金をすごいくらい使っている人は「金は使わないと入ってこない」「使った分だけお金が入ってくる」なんていう超理論をよく展開しています。
「金は天下の回りもの」と昔からよく言ったものですが、これらは本当にそうかもしれないと最近は思い始めました。
というのも、よくよく考えたらどんなにお金を使っている時でもなんだかんだ帳尻が合っているということに気づいたからです。月の収入はそんなに変わらないので無意識的に他の出費を抑えている説は十分ありうるのですが。
たびたび話題にしている "今日のダーリン" で述べられた「良質なインプットのためにはまずアウトプット理論」はお金にも通ずるものがあるんだろうなと思うわけです。
良質かどうかはさておき、インプット(貯金)を続ければ当然ながらどんどんその量は蓄積をされていくわけですが、一度におけるその量というか額的な部分はなかなか成長しないのかもしれない。
そもそもアウトプットする(お金を使う)必要がなければインプットする必要は全くないわけで、アウトプットするからこそインプットしなければならない環境にさらされるので致し方なくする、という感じだと思うんです。
インプットしなければならない環境にさらされることでそのための機会を探し始めるし、機会が巡ってきやすくなるのかもしれない。今の私は月に数百万も使っていないからそれを稼ぐためのそういう話は巡ってこないし、探すこともないし、血眼になって頭を使うこともありません。会社でも同じで数十万のキャッシュフローしか回していない会社に数億円の話なんて巡ってこないわけです。
だけど、今の私は月に数万円を使っているからそれを稼ぐための機会を探すし、巡ってくるし、血眼になって頭を使うし。
で、結果的に「金は天下の回りもの」になるんだろうなあと。だから彼らのいう超理論もあながち間違いじゃないかもしれないし、それを直感的にやってるツワモノかもしれない。
お金は結局、モノ・サービスの交換券でしかないので、その交換券をたくさん持つこと自体には価値がありません。だから貯金だけしてもあんまり意味がない。使うことに価値があるわけだから。
それが自己投資じゃなくても、サークルやゼミとかの飲み会だけでなく、映画鑑賞や美術館鑑賞、おいしいものを食べる、ブランド物を買うなどなど、どんどんお金を使って心を満たす。
するとお財布のお腹が空いてしまうからその分インプットするようになる。やはり「金は天下の回りもの」だというわけである。そして、色んな経験をたくさんすればするほど、自分の武器が増えるんだと思います。一般教養って部類の武器。
とはいえ、わかっていてもそういう生活をするをできないから器ではないんだろうなあとか思いつつ、でも不自由なく生活できるくらいのお金持ちにはなりたいからどうしたもんかというジレンマに苛まれれる今日この頃であった。
どうでもいいけど、「金は天下の回りもの」的なことをいう人ってエリクサーを躊躇なく使えるんだろうな。やっぱすげえわ。私は道中では絶対使わないし、ストーリークリア後も使わないし、なんならゲーム中に絶対使わないもん(笑)。
このエリクサー理論(勝手に作った)は結構奥が深いと勝手に思ってます。その話もまたいずれ。
それでは、また次回!
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