花が咲いて、晴れた空に種を蒔く前に観よう!
A
東京行きの新幹線で見ました。これで新幹線の車内で何してますかの質問は映画見てますと答えられます。大人の階段を3段飛ばしで上った気がします。少しだけ上がった自己肯定感と使い物にならない新幹線のWi-Fiと持って書き進めていきます。今回は筒井康隆先生の「パプリカ」です。食指は伸びにくいですがいざ潜ったら今敏の世界が広がっておりあっという間の90分。
感想
作品を一言で表すとしたら”カオス”。場面説明のセリフは少なく、目まぐるしく場面が転換していく。それでいてかろうじてキャラクターから放たれるものは歌舞伎の口上な言い回しで難解な事が多い。
今作品でまず感じることとして、映像のオシャレ指数の高さである。現実と夢の2つの世界線を扱っているのもあり、場面転換が多い。その場面転換のセンスが際立つ。2000年台の作品ではあるがOP映像は2023年でも全然通用する。なんなら頭2つぐらい抜けてる。2次元と3次元を容易に行き来する映像は個人的クルものがあった。
作品のテーマである夢に関してだが、睡眠中に見た夢を振り返ると夢は不思議なものであると感じる。最たるものとしては夢の中に出てくる他人の言葉である。現実世界の他人の言葉はその他人の意識から表出されたものを自分は受け取る。その過程は自己は影響を及ぼすことは可能ではあるが直接的に介入することは未来永劫不可能である。しかし、夢の中には他人の意識は存在していない。あるのはただ自分自身のみである。他人の言葉は自分の意識から発しているのか?そう考えると自分の思うがままの世界を作れるはずである。これこそ”夢の世界”である。しかし、なぜ悪夢で目が覚めることがあるのだろうか?自分自身の思いのままに操れる意識世界?は気づいていない潜在的な欲求も拾ってしまうことで自分の認識と乖離した”悪夢”を見てしまうのだろうか。
ただの素人の自分語りは置いといて、睡眠中の夢っぽいカオスがあって個人的はよかった。共感されるかどうかはわからないが夢で出てくる他人は現実世界で絶対にありえないかつ双方の相性も微妙な組み合わせで出てくるのはなんでなのだろうか。あのなんとも言えない感じを作品には出てておもしろい。
原作が小説ということもあってかセリフの強さも際立つ。さらにこれをより強くさせたのは”ヌルッ”と言わせるとこである。文字に書き起こすとなんとも言えない不快感を少し感じるがかみ砕くと音楽、カメラワークなどを駆使したいやらしい強調はいれずキャラ同士のやり取りの中で入れておく。コンテンツはテキスト重視な自分は激刺さりであった。ここで好きなセリフをいくつか共有したい。
3つを羅列したが、どれもこれも短文ながらも破壊力が強い。やはりプロは違うなぁとのび太のお父さんみたいなな感想になってしまう。自分が最も好きなセリフは千葉が時田にラボで吐き捨てたこれ
このセリフは自分の仕事で被害が出ていることを千葉が指摘した時に時田がそれと向き合おうとしなかった際のセリフである。マスターベーションという強めの単語もさることながら見ている側でビクッとした人もいるのではなかろうが、少なくとも自分はそれである。
確かに混沌しており内容も難解、観終わった後のモヤモヤ感。その中に砂鉄のように輝く場面転換のセンスとセリフの強さにもう一度見たくなる毒性が混ぜられている。1度見ると、それ以降は誰かと見たくなる。そんな毒性を含んでる作品ってオセアニアじゃ常識かもしれません。。。