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アニメ、マンガに学んだ「正義」

幼い「正義感」

子供の頃、正義のヒーローに憧れた。

ウルトラマン、仮面ライダーを筆頭に、
ガンダムを始めとするロボットもののアニメ。

子供なら大人しかろうが、騒がしかろうが、
正義のヒーローには憧れるはずだ。

子供の頃から、親には
正しくあることを強く教えられた。
そして、優しくあること。

それは幼い子どもの頃の俺の心に、強く入り込んだ。

テレビや、マンガで映し出される主人公は、
いつでも俺の絶対的な正義だった。

幼い頃は、正しいことと悪い事の違いを知ろうともしなかった。

よく見る、よく聞く「正しい」が、イコールで「正義」なのだ、と。


「クレヨンしんちゃん」の野原ひろしに学んだ「正義」

これは今では「デマ」と発覚してしまっているが、
誰でもご存知「クレヨンしんちゃん」の野原ひろしの名言として、
一時期とても話題になった。

上でデマと書いたし、出典も調べようがないのだけれど、
俺は子供の頃に、クレヨンしんちゃんの映画かなんかで、
この言葉を確かに聞いたと記憶している。
(まぁ、その記憶がいつ形成されたかなんて知りようもない)

いいか、しんのすけよく聞け!
正義の反対は”悪”なんかじゃない、
正義の反対は、また別の”正義”なんだ!

調べてみてもやっぱり出てこない。

クレヨンしんちゃんでこんなセリフが出てくるということは、
劇場版としか思えないのだけど、
俺が子供の頃のクレヨンしんちゃんの映画なんて、
おそらく「ヘンダーランド」とか「雲黒斎の野望」のはずで、
それを観てもどこにもなかった。

でも子供の頃、たしかに藤原啓治氏の声で、
しんのすけの肩を持ち、
強く言っているシーンは今でも鮮明に思い出せる。
この記憶は、一体何なんだろうか。

この言葉を強く意識したのは、たしか高校生くらいの頃。
2ちゃんねる(現:5ちゃんねる)で、
スレッドに書き込まれたのを読んでから。

その時はデマと分かってなかったし、
頭の中でさっき言ったシーンが蘇った。

この時の俺は、一方的な正義を振りかざすタイプの人間で、
「正しいこそ正義」と強く思っていた。

頭に、そのシーンが浮かんでから、
自分の信じていた「正義」というのがぼやけてきた。


正義の反対は、また別の正義

ずっと子供の頃から、
正義の反対は悪だと思い込んで生きてきた。

テレビでよく見るヒーローが倒すのは、
いつも悪いことをしている奴だったから。

だけど、なぜあのヴィラン達は、
倒され続けてもやり続けるのか…?

それはきっと、
そうした方がいいと思い込んでいるから。

押し付けてくるのはよくないが、
彼らは、それが正義だと信じているから折れない。
折れないで、ブレないで、
”自分たちにとっての悪”であるヒーローに立ち向かう。

ハッとした。
自分の信じていた正義とは一体、何だったのか?

結局の所、正義とは
立場や、人の解釈の違いでしかないんじゃないか?

この野原ひろしの言葉として伝えられる名言は、
俺の心に大きな衝撃を与えることになった。

そして俺が、
正義というものを追求する、大きなきっかけになった。


「B壱」のエミネに学んだ「正義」

そもそも、B壱というマンガを知っている人が少ない。
理由は打ち切りで、4巻までしか出ていないから。

同じ作者の有名な作品は、
「ソウルイーター」と「炎炎ノ消防隊」。
作者の大久保篤氏がソウルイーターの前に描いていたマンガである。
(ソウルイーターに、B壱のキャラを模したキャラやモノが出る)

B壱は、当時の親友が集めていて、
読み終わったら借りて読んでいたのがきっかけだ。

B壱は結構、話の作り方が面白いので、ぜひもう一度描いてほしい。

主人公の親友であるエミネが、この作品のラスボスなのだが、
もちろん4巻じゃ回収すら何もできずに終わっている。

悪い奴らが集まっているシーンで、エミネが投げかける言葉。

傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰…
これら七つの大罪の、もう一つだけ加えるとしたら?
…それは、間違いなく「正義」だ。
行き過ぎた正義は、大罪でしかない。

最初は「何言ってんだコイツ?」って感じで思っていた。
ただ、なぜかやたらと引っかかった。
そもそも加える必要のないものを、なぜ加えるの?って。

大きく分けて7つある大罪に加えるくらいだから、
正義はとんでもない罪なんだろう。
「行き過ぎた正義」と言っているのも気にかかった。

きっと人間は、
「自分が正しい行いをしてる」と思ったら、暴力を厭わなくなる。

正義という、大きすぎる武器を持ち、
自分にとっての悪を、むごたらしいくらいに攻撃するだろう。
それはもはや、正義側のやる行いではないんだろう。

そして正しいと思っているからこそ、たちが悪い。
正しいからこそ、止めようがない。
止めようとする者を論破できてしまう。


今では消えた自粛警察

去年のコロナでの緊急事態宣言後、自粛警察という言葉が出てきた。
これこそ、まさに行き過ぎた正義だと思った。

確かに、未知のウイルス、
そして未曾有のパンデミックに怯えるのは分からなくもない。

しかし車に傷を付けたり、張り紙をしたり、
ただの小さな嫌がらせのようなことを、正義を盾にしてやりたい放題。

こんなのは正義じゃないって、本当思った。
というか人間ってこんなに腐ってたんだ、って。

仕方のない状況で、そこにいた県外ナンバーだったのかもしれない。
家族を守るために、言うことを聞くしかない社畜だったのかもしれない。

まず歩み寄ることもせずに、一方的な目線だけで誰かを叩く。
ああ、こりゃ大罪だわ。コロナウイルスより恐ろしい。

一年経って、というか一年も経たずに消えてくれたが、
正直吐き気がするほど悍ましい、人間の悪意を目の当たりにした。

自分の正義を信じて疑わない人間こそ、
逆に正義とは言えないのではないか。

日本人は、特に子供の頃から軍隊のような、
右向け右、前ならえを徹底的に叩き込まれる。

自分や、狭いコミュニティが守り続けてきたルールを、
突然破られるのが嫌いなわけだ。

そこが悪とは言えない、悪とは言わない。
これを書いている俺ですら、正義とも呼べない。

だけど、その時掲げた正義が、
本当に正しいのか、とんでもないものではないのか、
疑う気持ちを誰もが少し持った方がいいんじゃないか。


終わりに

マンガやアニメから学んだ正義や、正義感、正義観はたくさんある。

今回書いた2つの作品は、
今の自分の正義を、しっかりと省みることができた作品。

もし子供の頃のまま、
一方的に正義に心酔していたらどうなってしまっただろうか。

本当の優しいとは?本当の正しいとは?本当の正義とは?
それは、時や場所や、人によって変わってしまうもの。

誰かにとって大事なものが、自分にとってはゴミ同然のように、
自分にとって大事なものが、誰かにとって大事とは限らないのだ。

せめて自分の守りたいものだけは、
本当に守れる強さと優しさを持っていたいものですな。



使用素材

画像:ぱくたそ

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