子育て出来ない社会は静かに衰退していくだろうな…という空しさ
この記事を読んで思った事です。
自分が子育てして思うのは、コスパ、効率、ゼロリスク を追求する現代社会において子どもという存在はその真逆に位置する存在だなという事です。
つまり、その3つばかりを世の中が追求すればするほど子どもを産み育てにくい社会になっていきかねません。
私はコスパを重視しない、効率度外視、リスク上等などという世捨て人なつもりはありません。吉野家の牛丼やマクドナルドのハンバーガーのコスパは驚異的だと思うし、GAFAMがもたらした数々のIT革命は世の中のやり取りを飛躍的に効率良くしたと思うし、自分もそれにどっぷり浸かっているし、新型コロナウイルスに感染しないようにリスクマネジメントはしているつもりだし…つまりこの3つを私もがっつり考えて生活しているようです。
子どもは一人前になるまでは大変です。
それなりの教育を受けさせるとなると大変お金がかかりますし、仕事や家事と子育てを両立するのは大変ですし、幼ければ幼いほど安全に対するリスクも高いです。つまり上記の真逆です。
自分の子どもが愛しい、大切に育ててあげなきゃ!という強い気持ちが無い限り難しいものになるでしょう。
その為、コスパ・効率・ゼロリスクしか人生考えてない・知らない人にとっては子どもという存在は邪魔なものでしかないんだろうなという空しい気持ちになります。
考えてもみてください。平日朝の満員電車にベビーカーで赤ちゃんを連れて行って乗ろうとしたら大変な事になりますよね。
「迷惑だなあ」「時間帯を選べよ」「ベビーカー邪魔だ」「泣いたらうるさいじゃないか」「早く静かにさせろ」「早く降りてくれないかな」
その周りの人々がベビーカーと親に対して思うことってこういうのばかり渦巻くことになるんじゃないでしょうか。
これは極端な例ですが、子連れが敬遠される世の中になっていけばいくほど子どもを産み育て辛くなっていくので益々少子化が進むだけだろうなと思います。
誰もが皆子連れを迷惑がっているわけではなく、時には優しい人に遭遇する事もありますけどね。
子どもが泣いていたら泣くのがお仕事みたいなもんだもんな、とか、
ベビーカーが来たらどうにか場所作ってあげなきゃな、とか、
この人、妊娠しているのなら席を譲ってあげなきゃ、とか、
子どもはうるさいのが当たり前なんでむしろ黙ってたら怖いわ、とか、
そういう気持ちが世の中の人にほんのちょっとずつでも増えていくだけで大きな変化が生まれるだろうなと思います。
ただ、若い人への教育はともかく、こういう気持ちが持てない大人に持ってもらうのは難しいでしょうね。。。
私は子どもとその保護者は聖域として皆様が特別の配慮をする世の中になってもらいたいなと願うばかりです。