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継承と伝承

本日から師走。師走は文字通り師である僧侶も東西に経をあげにいく様を「師馳す」と表現したのが語源ではないかという説が有力と言われている。その他にも年が果てる意の「年果す(としはす)」がシハスに変化した説や、四季の最後という意味での「四極(シハス)」や一年の終わりに成し終えることからの「為果す」など様々な説があり、日本人の言葉の感性に驚かされる。

言葉といえば、言葉のプロフェッショナルである元NHKエグゼティブアナウンサーの村上信夫さんとは以前から懇意にさせて頂いているが、彼から今年大きな学びをもらった。それは「継承と伝承」の解釈の違いであった。

向かって左が村上信夫さん



今年5月、銀座の三笠会館のホールで「日本の美しい布と染色1400年〜工芸の伝承と復元〜」というテーマでイベントのプロデュースをしたときに、トークイベントとして、富山の城端蒔絵十六代目の小原治五右衛門さん、和粋伝承人の島田史子さん、(株)細尾 会長の細尾真生さんをゲストに迎え、トークショーの案内人として村上さんにお願いした。

その時に私が考えたテーマのサブタイトルは当初は「継承と復元」であった。

それを村上さんに伝えたところ、すかさず電話がかかってきて
「功ちゃん(村上さんの私への呼称)、継承という言葉は違うんじゃないかなぁ。継承と言ってしまうと、単に「伝える」とか「引き渡す」という意味になってしまうよ。その場合は「伝承」なんじゃないかなぁ。伝承は技術だけじゃなくて、そのものの本質や精神性も含めて伝えることだから、日本文化はそのように残ってきたんじゃないかな。だから本質を外さなければ次の世代で変化することも許容されるのではないかと思うんだよね。」

私にとっては目から鱗だった。普段、きもの振興だ、伝統工芸がどうした、次世代への橋渡しがどうしたなどと偉そうなこと言っている割には、言葉を軽んじていた。

言葉に体重が乗っていなかったのである。

それ以来、伝え繋いでいくことを「伝承」と表現し、「継承」を使わなくなった。先日、当代の十六代目樂吉左衛門さんとお食事した時も、その話題になったときは伝承という表現をした。

そういえば茶人 北見宗幸先生もついこの間「茶の湯と茶道」の違いについて、「茶の湯と表現されるものは伝承されない。茶道は伝承される。茶の湯と茶道は解釈が根本的に異なるからこそ、我々は表現をきちんと考えなければならない」と仰っていた。

言葉が乱れれば思想も乱れる。言葉がブレれば考えもブレる。
それを改めて教えてもらえた1年でもあったと師走に入って振り返った。

私にとって師が馳せる師走ではなく、成し終えた「為果す」シハスである。

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