梅鉢紋 〜なごみ2022.6月号より〜
梅鉢を含む、梅紋は様々な形が存在し、家紋の中でも非常にバラエティ豊かである。梅の花、梅鉢、星梅鉢、捻り梅、向梅、光琳梅・・・。単純に分類しても25種類以上は存在する。
梅鉢に代表されるのは、学問の神様である菅原道真公を祀った北野天満宮の御神紋である。
「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとして 春を忘るな」はあまりにも有名な歌であり、道真公が大宰府に左遷されたときに詠ったものであるが、それほど梅を愛でていたことから、全国の天満宮の御神紋のほとんどは梅紋を使用している。
さて梅鉢紋は、花の中心の雄しべの部分が太鼓の撥に似ていることからその名が付いたといわれているが、この紋を使用している代表的な武家が加賀藩の藩主であった前田家である。『日本紋章学』によると、前田家の祖先は菅原道真公の子孫と名乗っており、武家であることから鉢の文様を剣にしたと記されている。
参考までに、前田家は分家においても梅鉢紋を用いているが、それぞれに微妙に異なる。富山藩前田家は雄しべの部分が丁子型の丁子梅鉢であり、大聖寺藩前田家は同部分が瓜の実型の棒梅鉢、さらに前田利家の五男・利孝が初代藩主となった七日市藩前田家(現在の群馬県富岡市)は六つの丸を梅花に見立てた星梅鉢紋を用いたことで知られている。
茶道具で梅鉢紋といえば、古帛紗や仕覆などに使われている名物裂「伊予簾緞子」がある。この「伊予簾」とは中興名物の小瀬戸尻膨茶入(昭和美術館蔵)で、小堀遠州が銘を付けたが、その仕覆が伊予簾緞子である。江戸時代、伊予国を治めた久松松平家は菅原氏の出であり、元々の家紋は梅鉢を用いている。もちろん伊予簾緞子は伊予国とは直接関係はないが、偶然にもその裂に梅鉢紋が入っていることは菅原道真公の粋な計らいかもしれない。
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