二人で本を読むシリーズ ~ 具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ
一秒漫画ってなんじゃ。
中田の敦彦さんが仰ってた本の読む順番を実践したいと思います。まずは目次から見ていきましょう。気になったところに問いを立てていきます。その後、「はじめに」「おわりに」を読んで、著者が推してる章を推測します。あとは推し章と自分自身が気になる章を読んで今回の読書は終了です。
本noteの目標としては、こちらを閲覧いただいているあなたと、本書を一緒に読んでいただきたく存じます。そうして共に問いを立てていく上で、わたしのなんでもない問いが、あなたに閃きを促すきっかけになりましたら幸いです。ですます口調と敬語に関しましてはこちらの文を持って終えさせていただきます。ほないこか。
目次
抽象化→人間の頭はどこがすごいのか。きっと人間以外は抽象化出来ないんだぜみたいな話かな。
すぐれた物まねや似顔絵。この話の文脈から考えると、本物と比べるとまったく違うのに、顕著な特徴をうまく掻い摘んでいるからすごい。AIは特徴量選択がどうのこうの、人間はいとも容易く〜みたいな話かなあ。
精神世界と物理世界 言葉には二つずつ意味がある。これは、、、どんな意味かなあ。抽象的な単語と、具体的な単語があるよね、みたいな話だと嬉しいな。二つ意味があると言うことは、抽象的な単語が具体的になり得るケースもあるとか?もしそうなら驚き。
パターン認識。AIっぽい話をしてる。AIではこうやってるけど、人間はどう?
関係性と構造 図解の目的。言語を図次するお話。"抽象と具体"から想像するに、図解すると具体的になるよねーみたいな話かな。文章って確かに不明瞭なところあるよね。だとすると、抽象と不明瞭が結びつく?なんかそれは違う話な気がするなあ。
たとえ話の成否。if ○○, then ~ の○○が具体的だと成になる傾向がある、みたいな話か?ところでこの本はどこへ向かうのだろう。
相対的 「おにぎり」は具体か抽象か。上で推測したようなことかな。抽象な単語が具体になり得るケースもあるよねってお話。
議論がかみ合わないのはなぜか。これは最近よく聞くお話。議論の抽象度/具体度が違いすぎて、同じテーマで議論しているはずなのに、お互いにとって正しい話だけをし続けてしまう。なので抽象度を合わせましょう、的な結論だった気がするけど、じゃあそれってどうやるんだ…?
自由度 「原作」を読むか「映画」で見るか。さあ、これがどう抽象と具体の話に関連付くんだ?原作ありきの映画は、原作を独自に解釈したある種の再構築。もちろんこの問いは片方が正解なわけはないので、双方の利点を、、あー。すると議論が噛み合わなくなるのかな?上の具体例かな?じゃあ自由度は何を表すのだろう。
価値観 「上流」と「下流」は世界が違う。システム設計の話でもしてますか?下手に境界を設けるのは、いち個人としては好きじゃないんだよなー。上流は抽象で下流は具体?抽象と具体は世界が違う?振り子のように行ったり来たりがベターなのでは?読んでみないと分かんないね。
量と質 「分厚い資料」か「一枚の図」か。さあ、気づいたら二項対立ばかりになってきてしまったぞ。一枚の図と補足的資料が最適解じゃないのと思っちゃう。多分結論もそんなことを言うんだろう、知らんけど。
二者択一と二項対立。いや、ここにきて著者が自分で言うんかーい。内容は4ページ。というかよく見るとここまでの章も、全部4~8ページくらいなのね。
ベクトル 哲学、理念、コンセプトの役割。これら3つがモノづくりにおけるどの範囲までのニーズを拾うのかを決める指針になるのだと思ってるよ。じゃあそれぞれの役割の違いはなんだろう。哲学は課題の再定義、理念はなぜ我々がやるのか、コンセプトはユーザーを惹きつけるための世界観といったところでしょうか。さあ、何やら別の言葉に置き換えることには成功したが、何か具体度は上がったのでしょうか。俺の推測は本文にどの程度関わるのでしょうか。
「パクリ」と「アイデア」の違い。パクリ×パクリ = アイデア。
かいつまんで話せるのはなぜか。かいつまんでしか話せないのかもよ。記憶力的に。じゃあ断片的な記憶で話せるのはなぜか?断片的な記憶が一つのストーリーとして成り立つのはなぜか?話し下手な人はなぜ失敗するのか?かいつまみ方が下手なのか?答えは載っていないだろうけど、どういう話の展開になるのかは気になる章である。
「本末転倒」が起こるメカニズム。状況を正しく把握していない?AだからB, BだからC, Cだから…, XだからYまでいく頃にはAという前提条件を覆しちゃってる。「本末転倒」という抽象的な単語を、俺がただ分かりづらい抽象的な事例に置き換えただけじゃね?
理想と現実 実行に必要なのは何か。前章とのつながりはどこにあるのだろう。
「下」から「上」は見えない。さっきの上流と下流みたいな話かな。ともすると具体から抽象は抜き出せない。そんなことある?もしくは具体と抽象が逆で、抽象から具体は抜き出せない?これはそうかも。だったらなんだ?
一方通行 一度手にしたら放せない。内容的には抽象化力の話だろうけど、わざわざ章を分けてまでするような内容なのかな?第1章より大切なことを言っているのかな?
共通と相違 抽象化を妨げるものは何か。例外?生物の研究とPCメーカーの仕事の共通点を述べている天才学生がいたから、多分妨げるものは存在しなくて、ただただ各人の抽象化力不足だと思う。
抽象化だけでは生きにくい。序章の「抽象化なくしては生きられない」に対するアンサーといったところか。結局は振り子のように具体と抽象を行き来すればいいんだよってお話に過ぎなかったのかなあ。だとしたらこれを読むよりみんなにもTakramのPodcastを聴いてもらいたいなあ
以上で目次については終わりです。もうこの時点で僕と一緒に本を読むことは難しそうですかね。でしたら次回以降の書き方を考え直します。
はじめに
という一文から始まる本書。その上でこの本は「四コマ漫画」や「図解」を用いて、わかりやすそうで、それとは逆の立場を取るよう。抽象的な四コマ漫画とか抽象的な図解ってことかな?四コマ漫画はよく分からんが、平文を図解にすることでさらに抽象度を上げる?そんなことが可能なのか?言ってたことを上位概念に抽象化してそれを図として具体化する。結果的にちょっと抽象化?全く違う何かがあるのかな。
なぜ「わかりやすさ」に逆行するのか。知らず知らずのうちに蓄積された弊害を破壊したい…から?世代交代には必要?
理由付けはよく分からないが、とにかく抽象概念を扱うのが本書の目的であるそう。まあ目次を見る限りそうでしょうね。具体化ばかりしちゃうと知性が退化する?じゃあインターネットは具体の極み?これは疑似相関か。
おわりに 国語と数学は役に立たないか?
どうやら抽象化には弊害もあるらしい。どんなだろう?国語と数学も、とどのつまり、言葉と数。抽象化を学んでいたらしい。なんかこれ自体抽象化が行われたよね。こういう上手いこと言いスキルを手に入れましょうってことかな。なんか分からんけど納得感が増すのは事実。抽象化のメリットはなんだろうね、と思ったけど、本書は抽象的に書かれているから、おそらく答えらしい答えは載ってないんだろうなあ。それで言うと、私がこのnoteを書いても、決して本書の解説文にもならないし、かといって一緒に読もうとしてるだけなので、抽象度を上げているわけでもない。ひとつでも新しい視点、違った視点で本書を読むきっかけになればいいなと思って書いている次第です。問いは具体にさらに掘ることもあれば、抽象に引き上げることもあるので、そう言う意味では具体と抽象を行き来するお手伝いになるかな。まだ本編読んでもいないのにね。何を引き上げてるっちゅーねん。
具体に抽象をかけ、当てはまる具体に再構築する。それをツッコミに応用したものがたとえツッコミ。話術におけるその道のプロは、どう考えても芸人しかいないのでは?何学かはさておき、語りのスペシャリストが理論研究にまわったらなんだかすごいことが起きそう。でもあれか。"笑いは緩急やねん", "間が大事やねん"って師匠から弟子に語り継ぐときには既に抽象化されてるのね。いや、もう、抽象化してまんがな。お見事。だけどそれだと一般人にまで理解はできへん。実践による抽象の自分事化はあり得れど。。。
ところでここまでの私の文章はひたすらに抽象に偏っている気がする。著者も往復運動が大事だと言っていたので、もっとたとえ話を織り交ぜる方が人には伝わるのかな。抽象から具体を考える力も教えてほしい。テーマからエピソードトークをつなげる遊び練習したい。芸人は具体化力のエキスパートじゃね?
あとがき
著者の推し章を推測するのを忘れました。ところで、話の流れ関係なく突然芸人を話にした事それ自体が具体化だった?
たとえツッコミの話をしてて、目次に戻るとたとえ話の成否について書かれてあった。ここは推し章認定。
あとは本書自体が四コマ漫画、図解で話をまとめているようなので関係性と構造 図解の目的。は推し章に欠かせないだろうな。
あとはなんとなく抽象化だけでは生きにくい。を読めば、少しは本書全体の話の流れを掴めそう。普通の本ならそうするだろうが、「わかりづらさ」の逆をゆく本書はそうはなってないかもね。 推し章群です。
個人的に気になるのは、相対的 「おにぎり」は具体か抽象か。ですかね。おそらく三章の精神世界と物理世界 言葉には二つずつ意味がある。に対する具体化を記述している気がする。
抽象に偏っていると述べたが、実際はすぐれた抽象化をおこなっているわけではなく、ただただ抽象度の高い単語を並べているだけな気がした。本書で言う抽象化はどう異なっているのか。もしかしたら理想は、具体の単語で抽象なメッセージを投げかけることなんじゃないだろうか。