クリエイティブ・ラーニング
たくさんの人に届いてほしい記事ができました。
世の中には
答えが一つのもの
と
答えが人の数だけあるもの
があります。
これからは答えが人の数だけあるものが大切になってくると僕は思います。
そこで今日はこの本をもとに、
素晴らしい先輩の授業実践の紹介とともに、
これからの時代に求められる
授業と教師のあり方について書きます。
ミーニングとセンス
山とは何ですか? と聞かれたら
山は、緑のこんもりしたやつです。
山は、六甲山みたいな地表の隆起したやつです。
と答えることになると思います。
そして、辞書には
地表の高くもり上がっているところの総称。
と書いています。
みんなの感覚と社会的な意味が、うまく合わさり誰でもイメージしやすい一つの答えが生まれます。これをミーニングといいます。
山とは何ですか?と聞かれて
山とは、感覚の抑揚ですね。登る時にワクワクする、その先の景色、到達する場所の雰囲気をイメージしながら登 る。でも、実際は帰りのくだりが、本当に心地良い。登る期待感と、下る高揚感。どちらも素晴らしい。
それが私にとっての山です。
と語り出すと、変なやつです。
これは、僕の感覚から語ったもので、他の多数の人に、山ってそうだよね! ってわかってもらえるものではありません。
これをセンスといいます。
ミーニングを教えてきたのが学校です。
これからの創造性が求められる時代に必要なのはセンスから語る場をつくり、センスから語る人を育てることです。
ミーニングは効率的に伝達するための便利な手段でしたが、これからの時代に必要な創造性それ自体にはなり得ません。
炊飯器=電気でご飯を炊く道具
ということを知っていても、今の時代に何の価値もありません。
一方、
炊飯器=子どもの時、夕方に家に帰る時のあのほっこりした匂い。つまみ食いしたく なるあの感じが最高なんだよね。
というセンスは、もしかすると炊飯器の機能を新しく創造する可能性があるかもしれません。
時には、
いやいやあの匂いが部屋に充満するのがたまらなく嫌なんだよ。蒸気で壁紙も傷んじゃって。
という他の人のセンスから、新たな機能が生まれるかもしれません。
センスから語り、センスで語り合い、自分の中にある意味を再構成していくことが、これからの時代『創造社会』に必要なことだといいます。
センスで語ることは、非常に難しい。
曖昧で、主観的なわかりにくさを含んでいる。
だから、ミーニングを求めてしまうし、ミーニングから語ることは多くなる。
ただ、センスから語ることは、創造力を育むだけでなく、それぞれの答えが異なっているという前提から語られるため、多様性の感覚を育むことにも繋がる。
これからの社会を担う子どもたちに必要な力になる。
クリエイティブラーニングの実践
尊敬する先輩のマット運動の実践です。
子どもたちは
「 脚を開いても立てるかな?」
という問いをもとに、いわゆる開脚前転を探求していきます。
すると、様々なコツや方法を発見し、子どもたちは達成します。
ほとんど脚を開いていない、膝が曲がった開脚前転でも成功です。 脚を開いても立てているので。
ただ、次の探求が始まります。
器械運動の持つ、美しさという目標です。
「(より)美しくできるかな?」
という問いかけで子どもたちはまた動き、思考していきます。
『美しいとは』を子どもたちは語り合い、一つの模造紙に定義を構成していきます。
それは、各個人のセンスの統合されたもので、動画の体操選手の美しさから感化されたものです。
これまで、体育の授業は
脚を開いてピシッと立つのが美しい開脚前転だ。
「じゃあ、どうやったら美しく立てるかな?」 という、教師が定義したミーニングからの問いかけで行われてきました。
これからの授業は、子どもたちがそれぞれのセンスから語り合い、意味を創造していくこと、それ自体が価値を持った授業をつくっていくことが必要なんだと実感しました。
また、先輩は問いかけ、共に探求し、時には助言するジェネレーターとしての役割を担っていました。 子どもたちだけでは進めない時には、的確な助言をし、子どもたちが思考する場面で は、問いかけ共に探求する。
教師のこれからのあり方だと感じました。
最後に
過去の知識・経験で体系化されたものの上に、今があることは確かな事実で、ミーニングにも多大な価値がある。
ただ、これからの時代はこれまで蓄積されてきた知識は全て簡単に調べられる時代。
センスから語ることは、
これまでのミーニングを作り変えるものであり、
新たなミーニングを作る創造行為であり、
何よりも自分の価値観を他者と協働しながら、
再構成し続け、変容しながら生きていく ために必要な力だと感じています。
今日の休み時間うちのクラスの子が、ベンチに座って、語り合ってました。
目が合うと、教室にいる僕に
「白い紙とえんぴつとって。」と言います。
「どうしたん?」と聞くと
「みんな遊びの氷鬼が全然うまくいかんかったから作戦会議してる。」
と言います。
場が広すぎる、ルールが曖昧、鬼が少ないなど僕から見てもいろいろと 感じる氷鬼でした。
そこでちょこっと、助言もしてみました。
子どもたちは次の話し合いと遊びの時間で、自分たちが楽しめる氷鬼に近づけていけるのか、楽しみです。
子どもたちの日常は、クリエイティブラーニングの機会が満ち溢れているんだと実感しました。
これからの時代、
「答えが一つのものを教える」という教師の役割は、 「答えが人の数だけあるものを共に探求する」役割への変化を求められることになるでしょう。
僕はコーチングをする教師としてその役割を探究していきたいです。
教師の同士のみなさんはどのようにしてその役割を担っていきたいですか?
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