普通になりたかったー小3からガチ不登校を経て霞ヶ関へ。But…

皆様はじめまして。

kと申します。
私は、小学校3年生から高校卒業まで不登校でした。
不登校関係ブログ等を拝見させていただいても、

不登校だった当人がその後どうなったのかについて綴られていることはあまりありませんでしたので、
個人的な体験、今の想い等々を書いていければなと今回ここに文章を投稿させていただきます。

読みにくいかもしれませんがご了承ください。

本文章では初回なので、客観的な略歴と主観面がどうあるのかを簡単に書きます。

略歴は、

小学校3年生にして不登校開始。
中学校には一度も登校せず、
通信制高校に進学。

卒業後、大学へ行こうかと思うが、九九すらも忘却し、this is a penのisを あいえす としか読めない状態だったので、

3年ほど勉強をして旧帝大に進学。

現在は国家公務員をしております。

ということになっております。

一方で、

小学校から今現在に至るまで、心の中心を占めているのは

「普通になりたい」

これです。

高校卒業までは、
「学校へ行ってない」「勉強をしていない」「お先真っ暗だ」「将来に希望が持てない」「何をどうすればこの状態を変えられるのかわからない」

これらに悩み、現実から目を背けていました。

また、受験期は勉強のエンジンでもありました。つまり、いい大学にいけば、人生をひっくり返せる、普通になれる!!と信じていました。ある意味では、そう信じることで、現実から目を背けていたのかもしれません。

大学に進学後も、外形はどうあれ、心のどこかで不登校だったことに引け目を感じ続け、「過去を上書きして普通になりたい!!」と思い続けていたのが恥ずかしながら事実だと思います。

そのような思いを抱え生活し、NPOでの活動を経て他に同様の苦しみを抱えている人をどうにかしたいと思い、国家公務員になりました。

既に一般的にいう「普通」にはなれているのだと思います。

しかし、今の私の中では

何かわだかまりが消えない。
「普通」とはいったい何なのか。

いい大学に行き、良いところへ就職する、それはガチ不登校から達成した。高校卒業以前に抱えていた思いを達成したはずなのに、どうしてモヤモヤが消えないのか。生きづらさを感じるのは何故なのか。

そんな思いに苛まれています。

大学進学までは一言で言えば、砂漠を一人で歩いているような感覚でした。そして大学は豊かな森。

しかし、実は集団的な仕事スタイルそのものが極めて苦手だったのではないかと就職後に気付き、人生の羅針盤が壊れつつある。

これが、私の半生のダイジェストです。

結局のところ、いわゆるいい学校、いい会社というルートを「普通」と思い込んでいて、

適正が△にも関わらず、無理やりそれに乗ろうとすることが「生きづらさ」なのかなと感じている次第です。

次回からダイジェスト部分をより具体的に書いていこうと思います。

質問等があれば(答えられる限りで)受け付けます。