『この梅生ずべし』 安立スハル(1923〜2006)
常(とこ)臥しのわれの周囲の掃かるると風呂敷を顔に被せられたり
仰臥しに天井の蠅を目守る吾かくてひたすら時を逝かしむ
手を執り合ひ醜男醜女行けり着替へして出で来しのみに疲るるわが前
馬鹿げたる考へがぐんぐん大きくなりキャベツなどが大きくなりゆくに似る
何とはなく部屋に立ちをり灯をつけし汽車が視野より見えずなるまで
階下(した)のひとは二階に一人居る吾を餘りに寂けしと言ひて覗きぬ
自動扉と思ひてしづかに待つ我を押しのけし人が手もて開きつ
会ひすぎるほど会ひしかどしだいしだいに会はずなりいまはまつたく会はず
わが部屋のものらを味気なくはつきりと陽が照らすとき胸騒ぎする
走り来しヘッド・ライトが摑み出すわが影わが意志にかかはらず躍る
誰もせしことなしと不意に思ひたちて拭きはじめたり郵便受の中
見も知らぬよその赤子ににつこりと笑みかけられしことの身に沁む
親切にされたる日より少しづつ少しづつ心その人を離る
何か不思議な力づよさを持つピカソの描きゆく横顔に眼が二つある
蜆売りを呼びとめおきて二階を降り茶の間を抜けて路地を駈けゆく