『窮巷雑歌』(1995)/玉城徹
玉城徹(1924〜2010)
梅雨ばれを風動きつつ紫のかげしじに濃き茄子の一うね
晩餐の卓のおもてに置ける手の動かむとする今のつかの間
ポストまで行くみちに夜の線路越えくさむらの香は心にぞしむ
ひえびえと三月のかぜ部屋に満ち時にはばたく如くわがゐる
雨樋のはしより水の紐太く垂るるを見つつ椅子にし眠る
床の上歩(あり)きて見やる古机に今日わがあらず座蒲団一枚
厨房にへだつる窓は棕梠の葉に重き空気の動く見えたり
降りそそぐ眠りの下に横たはる身をわがものとしばらく思ふ
青空に飛ぶかたちあり松原を行きつつあふぐその時の間を
ノヴァーリス讃へけるごとこの庭にひかりは具ふ色と線と波と
赤き蜂木の花に来て飛ぶ下に立つわれは佇つかたちもちたり
福井市街ビル立つ壁に十月の夕づくひかり水の如しも
七つ八つタイヤの古き従へて小舟は朽ちぬ海原に向き
電気屋の角を下がれと人いふにその道来れば滝は白く落つ
横たはる葡萄のふさにひややかに流れよるかも窓のひかりは
夕風の冷ゆるに立つがひとりあり離れて土に屈む影あり
富士山の大きなる写真壁に見上ぐ吉原町(まち)うらの茶房に入りて
海の風まよへる辻に黙示的ごみの袋に足けつまづく
ひるがへりツバメチドリの啼きめぐる草浜に低し。─―梅雨の曇り
おし展ぶる微光の中へやすむときなくそそぎ入り富士川終る
くねりつつ草原につく路細く二岐(ふたわか)れせり夕べを白く
ものの間をひかりはつなぎ室内に人あり窓に風の木々あり
核(たね)見する輪切りの柚子は遠ざかりまた近づきぬ湯の波の上
元日を家出でくるに踏切の鋼板の疣(いぼ)白く日に照る
花さはに椿は立てれその花のとある一つを眼は選び見る
ゴティックの風の音する松原に今日わが入りてゆくをためらふ
をちこちに椿が紅く大風にくるめく見つつ町筋に入る
窓べにはアナナス属の鉢並めて街の曇りを遠からしめつ
ささやかなる歌に拠りてわが一生(ひとよ)あり今日夏雲の蒸すに苦しむ
花をおかず広き机に読み散らす書籍(ふみ)を積みたり帷(カーテン)動く
わが窓を占むる曇りにまじはらず濃き雲過ぎて朝の時あり
片腕に子を抱く女水踏みて岸にのぼらむ姿態をなせる
椅子を起(た)つ。──図録取(と)う出(で)てブラックが晩年作に鳥を見るべく
道ほそく岩をつたへり渓ぎしに竹差し出づるつかめば冷(つめ)た
腹のうちに太陽をマティス持(も)たりとぞピカソの頌(ほ)むる言(こと)のよろしさ
梅の花つばらに白し人工の流路を水は行きて日の差す
灰色の党類(たぐひ)ならめや駅前に噴水塔がいつからか立つ
よこぎりて広場のへりを蝉の声とよむ木下(こした)に階(きざはし)下る
尋常に昼めしを食ひしかる後畑のみちに出でてあゆめる
手の甲に飛ぶ虫固くあたるをも路によろこび夏を逝かしむ
夜の床に横たはるときこほろぎの鳴く音は胸の上に漂ふ
ひとり行く道の曲れば黒松の傾く幹を冬の日照らす