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『壺中詠草』 二宮冬鳥(1913〜1996)

医学用独逸語が英語にかはりにしかの迅速をまた思ひをり

あるときに幸福の感おとづれてをりたれどまた去りてゆきたり

われはいま理想的なるすがたにて横たはりをり眠ることなく

うつし身に何が起こるといふならむ上腿の皮膚が過敏になつてゐる

あすの昼すぎは雨ふるといふ予報おもひてけふの目をつぶりたり

老齢にちかづく犬が部屋みゆるところに長く立つことのあり

今日も来て坐れる椅子に空想はもはや育たず髪終はるまで

空想は老いてひろがることのなく終結をみることもまたなし

消防車始動してまた戻りくるまでを聞きをり眠らずにゐて

高層の窓より見ゆるこぶしの木いへのあひだのこの年の春

わが死なむ病おほよそ知りてより死(しに)を怖るる死をおそれず

排泄をやうやく終へてさしあたりわが身の上に宿題はなし

妻の指わが目の前にうごくとき伸びたる爪の見ゆるさびしさ

吾もてるホワン・ミロの絵ミロ生きてゐるとき下に入れたる名前

なかば覚め咳してゐると思ひつつ咳してをりしうつしみ醒むる

ゴムまりに空気を入れて入れがたき夢を見てをりかかる夢おほし

馬に乗る写真のこれり落馬せし噂そのころよりともなひて

家の上ゆく飛行機に目の覚むるときあり覚めぬときありて経る

その夜より寝ぬる布団を厚くしてそのままの夏そのままの秋

曇のち雨の予報をたのしみてをればくもりてきて降りいづる

風いでて雨戸のうごく音に覚めさめたるのちにもの思ひをり

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