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今月出会えてよかった本 【2022年4月版】
かつて興味を惹かれた本との再会
この本と出会ったのは書店の映像化コーナーでした。元来から天邪鬼な性格である私は「映像化するほど知れ渡ってる本を今更読んでもネ……」と普段は通過するコーナーなのですが、ふと一冊の文庫本に目が留まりました。
単行本が発売されたときに王様のブランチかどこかで紹介されて興味はあったもののこれまで読んで無く、文庫化されても読もうとしなかった本。
そんな『20歳のソウル』に再会し、この機会を逃すまいと購入しました。
構成の冷静なまなざし
『20歳のソウル』の章立ては、序章の市船soulにはじまり終章の20歳のソウルで完結します。そして本編が「告別式まであと○○日」という副題で綴られています。
ここに私は実話をもとにしたストーリーであることの残酷さと、素晴らしさを感じました。題材となっている浅野大義さんはすでに亡くなっている事、彼の作り上げた「市船soul」をはじめに奇跡のような生きた証を遺したことは、この本を読む前から知っていたことです。
それでも読んでいる時には驚きがあり、緊張感を感じました。亡くなってしまうという結末が確定されていても、その生きざまに受ける感銘が陰ることはありません。
すでに確定してしまっている告別式という日程、その間に差し込まれる多くのエピソードや拾いあげられた心情描写が浅野大義さんの生きた証をストーリーとして組み上げていったのだと思います。
その構成に著者の懸命の努力と関係者の尽力を強く感じました。
生きる、生き続けるという事
「俺の心は死んでても、俺の音楽は生き続ける」
この文を読んだとき、呼吸が止まりそうになりました。今の自分にはこのような思いで、このような言葉が出てくるほど生きているのだろうか、と。
短い生涯の中で「市船soul」という記憶に残る曲を作り上げ、多くの人々に影響を与えた浅野大義さん。そのまぶしい生き様を読んでしまうと、どうしても自分に影が差してしまいます。眩しく、最期まで生き続けた者と比べて自分はただ生き長らえているだけじゃないか、と責める気持ちがのぞいてしまうのです。
でも、生きるとはそういう事ではないのかなとも思いました。それは彼が音楽だけでなく様々なことに熱中し、色んな人と関わっていたことを読んだからこそそのように考えることができました。
くよくよ思い悩む時間が無かったからこそ、目の前のこと・自分が興味を持ったことに全力で取り組む。それこそが生きることであり、それを続けて繋いでいくことが生き続けることなのだと。私はそのように受け取りました。
「市船soul」の軽快な6小節のように際限なく忙しく日々が過ぎていきます。この曲が頭の中で流れ続けている限り、彼の音楽は生き続けています。そして、読了後の私の頭の中にも「市船soul」は流れつづけているのです。
おわりに
『20歳のソウル』を読もうと思ったのにはもう一つ、かなり私的な要因がありました。
それは私の周りで親しい人たちが相次いで亡くなり、なぜ生きているのかを深く考えるようになったことです。
正直なところ、この本を読んでも自分がどのように生きていくか、どのような生き方をしたいか見つけられてはいません。なぜ中途半端に生きている自分より一生懸命に生きている人たちが死ななければならないのか、そのような疑問が読書中に何回も脳裏に浮かんできました。
ただ、最期まで生き抜いた人がいたこと。その人の生き様を間近で見て受け継いでいる人がいること。その人たちのことがこうして本になり、映画になってさらに多くの人へと知れ渡っていくこと。色んな人たちのことを考えると、まずは毎日を生きていこうという気持ちになりました。
たとえ彼のように懸命でなくても、彼の曲とソウルは生きていく。この本に出会えて本当に良かったと思います。