「賢さ」と「愚かさ」の分岐点にあるのは「素直さ」
「人は潜在的に互いを賢くしあう能力を持っている」
ときに立ち返る言葉です。私が認知科学を大学院で学んでいた時の恩師である三宅なほみ先生の言葉です。とても大切にしている言葉で、時々人に話したりもします。
以前の職場の上司に話したときにはこんな答えが返ってきました。
「なるほどな。一方で互いに愚かにしあうのも人間だけどな」
確かにその通りかもしれません。
ただ、この人のことを好きになれないだろうと思いました。
私は、人の可能性をこの言葉に込めています。果たして好き好んで愚かになろうとする人はいるでしょうか。むしろ、誰しもがより良くなりたいという向上心を持っていると思います。
一方で、弱いところが人間にはあります。本能的に自分を守ろうとして誰かを攻撃したり、自分を正当化したりしてしまいます。そういう側面もまた、誰しもが持っています。私もそうです。
賢さと愚かさ。これは表裏一体なのだろうと思います。
そして、その分岐点にあるのは「素直さ」です。
松下幸之助さんは、生成発展がこの世の自然の理法であると説いています。
あるとき「人が潜在的に賢くしあう能力を持っている」という言葉と生成発展が私の中で、結びつきました。私たちが、お互いに日に新たにあろうとすることで限りない繁栄、平和、幸福が生まれています。
そして、お互いはそれぞれ違う人生を生きています。一人ひとりの顔が違うのと同じように、感じ方、考え方は一人ひとり異なります。だから、時に考え方の違いから葛藤も生まれます。しかし、これは起こって当然のことです。互いが互いの考えの違いに素直になって、葛藤を受け入れ活かしていくことで私たちは進歩してゆくのです。
そこには互いを理解するための対話があります。このとき素直な気持ちで互いに問いを立てれば、それぞれのやり方で賢くなれます。
ところが、自分の考えに固執してしまえば、その時点で分断や対立が生まれます。結果、一時的に勝者と敗者が生まれるでしょう。これを宇宙から眺めてみるとこんなに愚かなことはないのだろうと思います。