マイルドな表現
友人知人と会うと、
「今不登校、多いんだってね」
という話題がよく出ます。
わたしはニュースなどで知っているレベルで、伝聞的ですが、「多い」「増えている」ということは事実なんだと思います。
不登校の定義も曖昧です。
何日以上休むと不登校になるのか。
昔は登校拒否といっていました。
断固登校を拒否する、
そんなキッパリとした印象を与える言葉でした。
いろいろ事情があって学校に行かない子どもを不登校児と呼ぶようになりました。
わたしも学校に行くのは苦痛でした。
朝が来なければいいと思ったこともあります。
朝に清々しいというイメージが持てませんでした。
幼稚園に入った当初は、泣き叫んで登園拒否していました。
それでも門の向こう側に押し込まれ、休むという選択肢はなかったです。
学校に上がると、まぁこんなものかなと淡々と登校していました。
子どもは日中学校で過ごすことが義務だと思っていました。
学校に行ってみると、嫌なことばかりでもなく、たまには面白いことも楽しいこともあります。
友だちが一人二人できれば、学校に行く動機になりました。
学生時代がすべて暗黒時代というわけでもなかったです。
学校に行くという苦行を経ないと大人になれないと思い込んでいました。
今は行きたくないなら無理に行かなくてもよいという風潮があります。
学校に行かなくてもこんなに立派になりました、という事例は探せばいくらでも出てきます。
アイドルの中には、「わたし、不登校でした」と自慢話でもするように語る人がいます。
不登校が過去の話になればいいですが、現在進行形なら本人にとっても家族にとっても深刻な悩みです。
無理に学校に行かせて、最悪の事態になったら…
先の先まで心配してしまいます。
何年先かわかりませんが、
「え!?まだ学校に行ってるの?」
学校に行かない人が主流になる、そんな時代が来るのかもしれません。
今日のテーマはマイルドな表現です。
何か深刻な事態でも、名前を付け替えたり、言い換えたりすることで、イメージを変えることができる事例を考えてみました。
不味いといえないときに、
「珍味ですね」
「今まで味わったことのない味です」
「創作料理ですか」
「無国籍料理ですね」
不美人には
「個性的な魅力がありますね」
使えないヤツには
「まだまだ伸び代がありますね」
あまり褒められた気がしませんが、
マイルドで婉曲な表現は人間関係の潤滑油なのですね、
たぶん…