心の中で死語をつぶやく
差別用語、放送禁止用語などは、当然ながら書くことも口に出すこともNGだ。
それに加えて、今はパワハラ、セクハラなどのハラスメントに抵触しないように、じゅうぶん注意しなければならない。
あれこれ気を配っていると、無口にならざるを得ない。
以前にも書いたことがあるが、既刊の書籍を電子化するときに、差別用語、死語などをリストアップする在宅アルバイトをしていたことがある。
出版社からリストを渡されて、見つけたらページに付箋を貼り、パソコンで一覧表に入力していく。
そのものズバリの言葉ではなくても、文脈から差別的と思われる表現も抜き出す。
昭和時代には、今では憚られるような言葉も平気で使われていた。
童話の中にさえ、「○ちがいのように泣きました」という文章が当たり前のように出てくる。
慣用句の中にもそういうものがあり、「片手落ち」などは今ではほぼ使えなくなっている。
リストの中には、人種差別、身分差別、職業差別、障がい者差別、隠語などのジャンルがあり、性別を表す言葉も多かった。
例えば、看護婦、家政婦、婦警、OL、スチュワーデス、ウェートレス、のようなもの。
農夫、炭鉱夫、人夫など。
老婆という言葉もあった。
死語としては、孤児院や養老院などもリストに入っていた。
今は、男だから女だからと、既存のイメージを押し付けるようなことはしない。
女らしく、男らしくはNG。
口には出せない代わりに、心の中で、「女々しい男だな」とか、「女の腐ったような奴だな」とつぶやくことはある。
卑劣な男を見ると、「男の風上にも置けない」と思う。
一方、スカッと爽やか、サッパリして気丈な女性を見ると「男勝りだな」と拍手を送りたくなる。
そんな人を「男前」と褒める人もいるが、これはまったく問題なさそうだ。
やはり、男は優れていて、女は劣ったものという前提が社会に根強く残っているのだと思う。