方向音痴
救いようのない方向音痴である。
スマホに道案内をお願いしても、スマホ片手に平気で逆方向に進むので、目的地からどんどん遠ざかってしまう。
わたしの友人たちも
似たり寄ったりだ。
初めての場所に行くときは、スマホを覗き込んで、ぐるぐる回して、まずどっちに進むべきか悩む。
方向がわからないときは、目印になる建物が重要だ。
時間があれば、入念に目印を下調べしてから出掛ける。
それにしても、方向音痴の人が多過ぎない?
『話が聞けない男 地図が読めない女』という本があった。
どちらかといえば女性に、地図が読めない人が多いようだ。
そして、
人生航路においても、
道に迷いがちである。
いつも路頭に迷いながら、
彷徨っている。
そんなわたしが
なぜか人によく道を聞かれる。
人生の道案内=人生相談もなぜか持ちかけられることが多い。
相談したいのはこっちの方なんだけど。
広島の実家に帰省中、
朝からピンポーン。
ここは普段空き家なので
まず、モニターを覗き込む。
隣に住む従妹である。
正確な年齢はわからないが、アラフィフである。
世間では、彼女の暮らしぶりは引きこもりということになるだろう。
しかし、言葉のイメージとは裏腹に、話し好きで意外と明るい。
若いときは、夜間にアルバイトをしていたが、今は無職だ。
外出するのは夜も更けて、スーパーに買い出しに行くときだけ。
母を亡くして、わたしの叔父とふたり暮らしだが、ほぼ家庭内別居である。
先日、叔父が激ヤセしたのが心配で、この従妹と道で30分ばかり話した。
すると叔父の認知症が進んでいることなど、新事実がいろいろとわかった。
他県に住む姉とも話した結果、わたしに相談に来たものと思われる。
今、不安に思っていること、父親に対する苛立ち、母を亡くした悲しみ、40代で突然死した兄の思い出など、喋りたいだけ喋って帰って行った。
最後は笑みまで浮かべて。
わたしは洗濯物を干して、出かける予定だったのが、2時間が経過していた。
実は、その前の晩も、東京在住の従妹から、贈り物のお礼の電話があり、1時間以上話した。
この従妹は子宮がん、血液のガンといわれる多発性骨髄腫を患ったが、幹細胞移植がうまくいき、健康な体を取り戻したばかりだ。
わたしより7歳下で、子どもの頃から、ひとりっ子のわたしをずっと「〇〇ねえちゃん」と呼んで慕ってくれる。
コロナ前は、年に1〜2回は会っていたが、一連の病気で腎臓が悪くなり、塩分を控えなければならなくなったらしい。
もう、一緒にランチはできないという。
わたしのいとこたち。
まだ他にもいるが、良いことも悪いことも含めて、さまざまな目に遭っている。
わたしだって人のことはいえない。
長く生きれば生きるほど、いろいろな目に遭う。
わたしの父の生母は、産後の肥立ちも悪く、感染症で父を産んだ直後に他界した。
昭和ヒトケタの話である。
その後、新しいお母さんがきてくれて、父の腹違いの弟、妹は10歳以上年齢差がある。
その関係で、わたしもいとこたちとは歳が離れている。
歳の差だけで、いとこたちからは頼りにされることがある。
まぁ、頼りにされたところで、わたしができることは、愚痴を聞いてあげることぐらいなのだが。
道に迷うと新しい道を知ることができる。
だから、方向音痴もそんなに悪くないと思う。
広島といえば、アンデルセン。
その姉妹店リトルマーメイドの広島市役所前店に来ました。
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