クズ中のクズ。
いじめかっこ悪い、というかいじめなんてやってるやつはクズだ。
いじめは子どもの世界で起きやすいはずでそれは、自分の生きるべき世界が学校にしかないとか家にしかないといった感覚があるからだろう。子どもが生きるべき世界で必死に自分の居場所を得るために誰かを犠牲にするいじめというものは気に食わない限りだが、大人のいじめなんて目も当てられない。クズ中のクズだ。
大人になればなるほど自分の生きるべきといっていいのか生きる世界が増え、そうであるから一つの世界に囚われなくなると思っている。実際に私も会社や大学の友だち、家族、高校の友だちなど生きている世界は多くないけれど、一つの世界が全てだという感覚はもうどこかに消え失せた。一つの世界ではない分、一つ一つのつながりが薄くなりそうだが、それはそれでいいから、自分の大切な世界を丁寧に大切にしていきたいと思っている。
そんな私には信じがたいが、大人のいじめがニュースで取り上げられるのを目にしたことがあった。それは、神戸市の小学校教師がカレーの云々と言われていたニュースのことである。
大人になればなるほど世界は広くなるはずなのに、大人でもなぜいじめが起こってしまうのだろうと残念というか悔しい気持ちになってならない。それもいじめをなくそうと努めているはずの教師がである。目も当てられないし、知ってる教師が「いじめをするな」と言っていて、その教師同士が大いじめを行っているなんて矛盾もいいところである。生きていれば矛盾や理不尽はあるにしても、このいじめだけは許せない。許せないし、そんな大人がいることにがっかりしている。やはり、自分の世界は自分で守るしかない。いじめをするような大人という風をした子どもに誰が守ってもらいたいか、私の大切な人生を。
私の近くでも高校の友だちが、2つ上の先輩の中でいじめ(はみごという表現をしていたらしい。幼稚極まりなく腹立たしい。)のようなことをしていることを嘆いていて、それを聞いた私も暗い気持ちになった。人をいじめるような大人と比べることすらも腹立たしいことではあるが、私自身はそうした人よりもまともに生きているという自信はある。そんなクソみたいやつらよりも真っ当に生きている。しかし、真っ当とは何なのか?という問題にも直面している。でも、今はどうでもいい。
自分の生き方に疑問を覚えることも多いが、周りと比べる必要もない。だって、クソみたいな大人が多い中で比べることに意味がないどころか、不快になったり、しょうもないことに安心したりするだけだから。そんなクソみたいことに思い悩むよりは自分を、自分の大切な人たちを幸せにできるように生きていたいんだよ。攻撃的な文章は今の心情を表すのか、それとも寝不足のせいなのか。
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