なかん
本を読んだら人生が狂った。 教科書で読んだ夏目漱石の「こころ」にはまってしまい、大学では文学部の道に進んだ。 大した研究はしていない。卒業研究は志賀直哉「范の犯罪」である。執筆というのもおこがましい卒業研究だったが、執筆当時、流行っていた「君たちはどう生きるか」をもじった副題にして、「范の犯罪」から自分自身はどう生きるのかを考えた。おこがましくはあるが、自分の中ではけっこういい卒業研究だったと思っている。周りの友達は、卒業研究、卒業論文が面倒くさいと言っていたが、私は書く
私はイチローさんが好きであるのだが(現在は引退されたので元イチローさんというべきか)、イチローさんの考えの中に、このようなものがある。 自分は努力は裏切らないという考え方が好きである 一言一句違わぬ正確な言葉は忘れたが、このようなことを「報道ステーション」で、現日本代表監督の稲葉篤紀さんと話していたと記憶している。この言葉に私はイチローさんの人柄がにじみ出ていると感じる。 それは「努力は裏切らないという考え方」と語っている点である。 私が知る限りと想像する限りでは、偉
A「押しつけがましいのって嫌だよな」 B「インチキ宗教?」 A「それもあるけど、何に対してもこれをやっておけばとかこれでもう、安心みたいなのは本当に許せない」 B「最近はそういうのが多い。YouTubeなんかでも見出しに、これをしないと人でなしみたいなことかいてあるもん」 A「人でなしは見たことないぞ」 B「嘘だよ。人でなしではないけれど、これをしていないとあなたの人生終わってるよみたいな深刻さで何かが書かれている」 A「そんな簡単に人生終わらないよな。資本主義の
A「人生とは何だろうか」 B「いきなりなんだ。その甚大で抽象的な質問は」 A「甚大は「甚大な被害」とかそういう時に使うことばじゃないのか」 B「そうかもしれないが、お前が今「人生とは?」という質問をしてきたことは俺にとっては甚大なことなんだよ」 A「そういうものなのか」 B「そういうものさ」 A「で、人生とは」 B「うーむ、人の生きる道だな」 A「読んで字の如くとはまさにこのことだ」 B「実際にそう思うのだから仕方がない」 A「もっと何かあるんじゃないか。
心が決めるのか、脳が決めるのかわからないが、人には受け止めきれないものを流す能力がある。脳の信号で体の動きは決まっているはずなので、脳がその能力を持っているのだろう。脳に能力というのはダジャレではないのだけれど、脳の能力というものは不思議なもので、その能力というか動きを正しくすることが生きていく上では不可欠である。 たとえば、接客業などをしていると現れてくるクレーマーの言葉を全て真に受けてしまえば、心が悪いものに覆われてしまう。それを脳が、これは流さなければいけないとクレー
瀧本哲史さんの「ミライの授業」を読んでいる。 まだ最初の数10ページしか読んでいないが、面白い。すぐに勉強をしたくなった。試験を受けようと思っているが、なかなか気が進まない中でこの本を読んだら勉強している自分がいた。本の力を改めて感じた。 特にフランシス・ベーコンの4つの思い込みの部分は確かにと思った(思い込み詳細はこの場では割愛させていただきますが)。 自分が騙されないためにも世の中の仕組みというか、舞台の裏側を知ることの重要性を感じた。引っ掛かりやすいものが(たとえば
色々な本を読んだり、音楽を聴いたりする。26年と少ししか生きていない私でも数えきれないほどの本を読んできた。特に、ある時は学校の授業で読んだ夏目漱石の「こころ」をきっかけに大学では日本文学を専攻していた。そんな風にして沢山の影響を本に受けてきている。 沢山の本を読んできたしこれからも読むことはやめられないと思うのだが、時々本を読みたくない時がやってくる。読みたくない時だけでなく、ある作品を今は読めない時がある。 「読書にもタイミングがある」という言葉を聞いたことがあるが、
少し思ったこと。 数学の問題を解いていて思ったことである。 わからない問題がわかるようになると数学が楽しくなる。 わかる=楽しい 逆に わからない=楽しくない つまり、わからないことは楽しくない。 ここで日常生活の理不尽。 理不尽=楽しくない 三段論法(合っているのかわからない) わからない=楽しくない=理不尽 つまり、理不尽はわからないから楽しくない(面白くない、腹が立つ) しかし、理不尽は人生に必ずついてくるものである。 つまり、数学のマイナスと
持つべきものは友だなと思った。 公務員試験に向けSPIの問題集を解いているのだが、数的理解という数学っぽい数字を扱う分野が全くダメで、泣きたくなるくらいだった。 自分で問題を解きながら答えを読んでも全く意味がわからず、勉強が楽しくないの典型の何がなんだかわからない状態に陥っていた。 数学から逃げるように文系の道を進んだ私は、軽い数学アレルギーのような症状になっていたのかもしれない。そんなアレルギーがあるのかはわからないが、とりあえず数学=わからないものという自分なりの方
やっぱり伊坂さんの作品が好きだなと改めて思った。 軽快でオチが見事で風変わりな登場人物も自分好みで、好きのフルコースな作家さんなのかもしれない。 色々な登場人物が現れて交わる話ではあるが、特に豊田さんと黒澤が好きだ。 無職でどん底を歩いていたが立ち直る豊田さんは自分みたいな冴えないやつを勇気づけてくれる。 そして、黒澤。 黒澤は空き巣を生業にしている泥棒だ。それなのに偉そうであるのだが、泥棒が偉そうにしていけないわけでもないので、その点はどうでもいいのだが。 こ
テレビで「シンデレラフィット」という言葉を見た。 最初は?が浮かんだが、シンデレラがガラスの靴をぴったりに履いたことになぞらえているのだなと理解した。 わからないと思っても少し考えれば理解できることがよくある。一番いけないのは思考放棄かもしれない。考えれば何かしらの答えが出るかもしれないのだから、よくないと思うのだ。 何がいいかわるいかなんて各個人が決めることであって、自分が決めつけるなんてことをできる立場ではないが、考えないは罪深いと感じている。 誰に対してのどんな
当たり前を抱き締めたくなる小説という表現を思い付いたが、当たり前は抱き締められない。当たり前には実体がないからだ。というと実体がないものは抱き締められないとなるが、実際はどうなんだろう。私は抱き締められているのだろうか。 寺地はるなさんの「夜が暗いとはかぎらない」を読んだ。 苦手意識のあった女性作家さんの作品であるが、表紙の謎の生物(読みすすめていくと「あかつきん」というマスコットキャラクターらしい)に惹かれて読んでみようと思った。 柚木麻子さんの「BUTTER」のくど
先が見えてしまうこと、先が見えないこと、どちらの方が辛いのだろうか。 芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」を理由に自殺をしたそうだが、先が見えないことの方が辛いと私は感じる。 私も正社員ではないので、来年の契約もわからない先の見えない場所にいる。来年のことを考えると暗い気持ちになる。それを見据えて他の職も探すべきなのかもしれないが、やりたいことを仕事にできたのだからもう少しそれだけに没頭したい気持ちがある。その気持ちは少し甘えを含んでいると思うが、そこまで張りつめられない。
大人が正解だと思っていた。 大人の言うことは正しくてそれに従わなければならないと思っていた。やること、なすことを真似ていれば自分は正しく生きていけるのだと、迷子のときのコンパスのように大人を信じていた。 だから、自分も失敗してはいけない、誰かの指針として間違った道先を教えてはならぬと妙に力を入れすぎていた。その考えは間違いだとだんだんわかってきた。 20歳から大人の仲間入りを形式的にさせてもらったけれど、それは本当に形式にすぎず、25歳になった今でも全然思い描いていた大
誰もが初めてのコロナ禍の中で、なぜ完璧な対応を求めてしまうのでしょうか。 誰もが知っている大企業だから適切な対応を取って当たり前、公的機関であるのだから間違いは許されないなどの寛容さの欠片もない気持ちではいけないと思いました。 そういっている自分も大人だから何でも知っているとか、あの人が間違えるなんて許されないという気持ちで生きていましたが、25年という少ないながらも年月を経て、大人であろうと完璧なんてことはあり得ないことを理解しました。 本当の大人になれているかなんて
時々、生きるのが下手になるときがある。 上手な生き方というのもわからないが、とにもかくにも生き方が下手だと感じるときがある。 たとえば、職場の上司との会話が噛み合わない時、自分が噛み合わない原因なのではないかと考えてしまう時がある。 思い上がりも甚だしい。そんなものは相手にも原因があるし、そもそも噛み合う話を求められているわけではなかったかもしれない。 それでも自分が、自分のせいでと思うのはかなり思い上がっている。 自分もそうだが、相手のことを思って話す人はそう多く