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【旅の話⑪】 カンボジア・プノンペン 《激動のカンボジアスポーツ界と、水泳代表コーチの人生に感動》
バッタンバンから7時間のバス移動で、プノンペンに到着。来るのは、これが初めて。
『【旅の話④】ジャカルタ』ぶりの人口密集地プノンペン、何よりもまず、人酔いした。。。
とりあえず安宿にチェックインして、一息。
トイレが流れなかったりクーラーが壊れていたり、慣れっことは言えやっぱりかと、「安宿あるある」にうなだれる。。
病み上がりの疲れた体にムチ打って、対応してもらえるようにスタッフとやり取り。
すぐには対応してもらえなさそうだが、夜までには治っていたらラッキー、ぐらいに思っておく。
ふと窓から見た風景。圧倒的なザ・東南アジアの混沌エネルギーを感じる。
ワクワクしてきた。
プノンペンでは、僕がフィジーで語学学校のカウンセラーをしていたときに英語を学びに来てくれていて、バッタンバンでお世話になった家庭も紹介してくれた、沖田咲ちゃんと合流する予定。
彼女は、フィジーから帰国後に青年海外協力隊でカンボジアに派遣され、水泳のカンボジア代表チームのヘッドコーチとしてプノンペンで活動していました。
彼女自身は水泳の元日本のトップ選手。
旧五輪スタジアムと、カンボジアの衝撃スポーツ事情
彼女と待ち合わせるため、集合場所の旧オリンピックスタジアムへ。歩いて行けた。
お昼を過ぎたプノンペンの中心地は、ゲストハウスを一歩出たところからもうゴミゴミした人混みになっていた。
治安のほどは事前に聞いて大体予測していた(かなり悪い)けれど、注意し過ぎがちょうどいいの鉄則を忘れずに遵守しながら、足早にスタジアムへ向かう。
この旧オリンピックスタジアム、これからに向けて今は新スタジアムが別の場所で建設中なので「旧」と付いていますが、
1970年代(最近!)にポルポト政権という政権が大虐殺(クメール・ルージュという名前で有名な事件、国民の1/3が亡くなったと言われる)を行った際に、このスタジアムも処刑場として使われた歴史があります。
その大虐殺においてほとんどの教師やスポーツの指導者が殺害されてしまった(メガネを掛けていただけで知識人とみなされ殺された:現地の教育省職員談)ため、現在でもカンボジアではスポーツそのものが他国と比べてメジャーではありません。
オリンピック中継でカンボジア代表を目にすることはまず無いかと思いますが、実際競技に限らず予選に勝つことがほとんど無く、東南アジアでもほぼ最弱と言われています。
教師も多くが殺害されてしまったために数が激減し、多くの公立の学校では体育(や音楽、美術など)の授業が行われていないか、授業内容の簡略化によりスポーツのエッセンスに触れられていません(現地オリンピック委員会専務理事談)。
そのカンボジアで、先日ある大ニュースが駆け巡りました。
2023年に、東南アジアのオリンピック「SEA Game」の開催地がプノンペンに決定したのです。
これはカンボジアのスポーツ界にとっては凄いことで、現地オリンピック委員会がこれを機にカンボジアでスポーツを広めようと現在も精力的に活動しています。
そんなカンボジアの水泳代表チームを悲願のオリンピック本戦出場、メダル獲得を実現するために、沖田咲ちゃんが現地で活動しているのでした。
再会
この旧スタジアムの敷地が思ったより広大で、ここだと思った集合場所のゲートが合ってるかが不安になって来た。
周りに人の姿がなく、ちょっと歩いてみる。プールも発見。
何十分か後に、無事に会えました。(ウロウロしたせいで会うのに余計に時間かかったごめん。。)
シェムリアップに続き、自転車で移動。
市場、街並み、JICA関連施設など色々と回って見せてもらった。
さすが現地在住長し、現地に適応しまくってる彼女の攻めた運転についていくのに必死。
道中で、カンボジアで活躍してる浅野さんのお店も紹介してくれた。
「SUIJOH」というブランドを立ち上げて、現地のスタッフを率いてめちゃくちゃオシャレなアイテムを販売されている、気さくで優しい浅野さん。
ゼロから現地企業し、カンボジア人スタッフを雇って教育し、今では多数のスタッフに囲まれて慕われている彼。速攻ファンになりました。
このときに買った小物入れ、2021年現在も愛用中。丈夫。
信頼関係と本物さ
そして、咲ちゃんが活動する水泳代表チームの練習を見せてもらった。
ニャックルー(先生)!と選手達からむちゃくちゃ慕われている彼女は、彼らとクメール語でびっくりするほどしっかりした信頼関係を築いてた。
選手達同士もめちゃくちゃピュアで仲良し。
練習中でもビート板持つたびにチームメイトの頭叩くし、ふざけるし、東南アジア独特のおおらかな空気が流れる中、みんなニャックルーが言うことを真面目に聞いて、ちゃんと実行しようと真剣にトライする。
言葉はあんまり通じなかったけど、側でずっと見ていたら、みんなのエネルギーにあてられてやる気が湧いて、水泳したくなった。
普段関わってる中では全然分からない、凛とした、アツいエネルギーで選手達を指導する姿に刺激受けまくり。
日本のトップ選手だった彼女がここに至るまでの苦労のエピソード、これからのこと、運命としか思えない、神がかったご縁。
本人に是非聞いてみてください!
いろんなストーリに乗ってくる「まっすぐさ」にいちいち感動しながら、数年後のカンボジアの水泳界に一緒になって想いを馳せさせられた。
彼女が「トップアスリートだから」だけじゃない、そもそもの人間性からくる、圧倒的にまっすぐなエネルギーで打ち込んでるから、自然とパズルがはまるように素敵なストーリーが出来上がって行くんやろうな、とも思った。
これを肌で感じられて、良かった。
「情報に溢れている社会だからこそ、自分の足で本物を見に行くことの価値が増していく」この考えに実感が加わった、プノンペン滞在となりました。
咲ちゃんはその後も現地で尽力し、信じられない数々のトラブルを乗り越えて、青年海外協力隊の任期が終わった後もカンボジアに残ることを決めました。
そして現地の水泳連盟に籍を移して活動を続けていくのですが、それはもう「情熱大陸」級のドラマが生まれていくのを遠隔で見て、感じていました。人生で最も尊敬する人の一人です。
その辺のストーリーについては色んなメディアで取り上げられているので、是非チェックしてみてください。
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↓初めて訪れる世界遺産、ホイアンの町歩きにつづく。
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