一期一絵 麦酒工場1976


 国電山手線の恵比寿駅のホームを出て品川方面に向かうと左側にビール工場が見えてくる。サッポロビールの文字が躍る。
 この電車で学校に通ったので毎朝の車窓の見慣れた風景だった。コクのあるエビスビールはサッポロビールの銘柄のひとつで、恵比寿の地名にちなんでいたのかと思ったら、恵比寿麦酒が先で恵比寿の地名になったらしい。
 恵比寿の駅は地下鉄日比谷線の駅と交差しており、頻繁に乗り降りしたが、さほど街を歩いた記憶はない。70年代は今のような若者が楽しむような場所ではなくどちらかというと地味な場所だったように思う。
 後年、調べ事があって当時、恵比寿にあった防衛庁の防衛資料閲覧室に通った。ビール工場は既になくエビスガーデンブルワリーとなり線路に沿ったスカイウオークも出来つつあった。
 このウオークあたりは工場に貨物列車が横付けされ、ビールケースを積み込むまさにその場所あたりだったのだろう。
 このころヒットした歌に「アメリカ橋」がある。われわれの世代だと誰でも口ずさむことができる同じタイトルの別の2曲がある。狩人と山川豊が歌うのだがそれぞれに青春の哀感を漂わせる。そのアメリカ橋がこのビール工場の端っこあたりで山手線を跨いでる鉄橋である。1904年の米国セントルイス万博の鉄橋を鉄道局が買い取り鉄製のモデル橋とした。今も使われている。
 本来の名は「南恵比寿橋」。これでは歌にはならなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?