一期一絵 志賀直哉の見た百貫島の灯


尾道水道

 六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。 (「暗夜行路」より)

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 志賀直哉が尾道に住んだのは1912(大正元)年11月から翌年7月までのわずか1年足らずだった。現在、文学資料室になっている東土堂町の旧居は三軒長屋で、尾道水道を見下ろす坂道の途中である。

 長屋の一番東側に居住し、「暗夜行路」の想を練り、「清兵衛と瓢箪」などの作品を残した。質素なたたずまいの部屋には、海に向かい文机が置かれた。本棚とわずかな調度品のみ、身の回りの世話は隣家のおばさんの手をわずらわせた。

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 光達距離40キロの強烈な百貫島燈台だが、その灯りはこの部屋からは見えない。旧居の石垣の上に立ってみると、眼前の向島が百貫島のある備後灘をさえぎる。作家は筆が進まぬと執筆の手を休め、裏手の坂道を千光寺の方に上ったに違いない。それも朝夕の決まり事のように、散策を楽しんだのだろう。

 小説の一節を作家はどの辺りでイメージしたのだろう。

 坂道を振り返りながら登ってみた。強烈な燈台の白い光は、旧居のある家並みから2段上の路地でようやく見えた。

百貫島

 東土堂町11の石段上の四差路。向島の重なり合う山の谷間から点滅する光だけがちらりとのぞいた。「一寸頭を見せている・・・」という描写はおそらくこの辺りからの観察であろう。

  少し登り、同町6の空き家前から振り返ると、三角(△)おむすび型の島がシルエットに浮かび上がり、頂点の光とともにはっきりと望める。さらに登り、千光寺参道下の藤棚あたりからの眺めが一番だろう。

 冬時分なら千光寺で六時の鐘の音を聞き、坂道を下るころ、眼下の瀬戸内海の島々の中に白い光が点滅し始める。おそらく毎夕 光を確認するように坂道を下ったのだろう。

 この燈台の灯りは、屈折した思いで東京を離れた作家にとって、暗やみの道しるべであるかのように印象深かったに違いない。  (1998.12)        

百貫島燈台 1894(明治27)年初点。愛媛県越智郡弓削町。1962(昭和37)年より無人。水面上74・5m。灯塔は7・6m。尾道海上保安部管理。

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