一期一絵 映画「潮騒」にみる灯台長の描かれ方 


神島灯台

 三島由紀夫の小説「潮騒」は1954(昭和29)年に発表されて以来、これまでに5回映画化された。1作目は同年、谷口千吉監督により、青山京子、久保明が主役である。これほどリメイク作が多いのは川端康成の「伊豆の踊子」と双璧である。5作品は別表に紹介した。

 舞台は伊勢湾の入り口、伊良湖岬と志摩半島の真ん中に浮かぶ神島(小説では歌島)。ここでは物語で重要な役割を担う島の灯台長にスポットを当てたい。離島における灯台長とその家族がどう描かれているだろう。

 ①加東大介②清水将夫③桑山正一④有島一郎⑤神山繁が歴代の灯台長役である。いずれもベテランの芸達者が重厚な演技で重要な役どころを担っている。

  灯台長一家は。離島や岬の先端の辺地の村にとっては、全国各地の情報をもたらす「教養」ある都会人であるという見方をされる。祭りや学校の式典では常に村長と駐在さんと並んで常に上座の中央の位置である。

 島に着任して3年目。灯台長は島民の相談役であり、女学校を出た灯台長の妻は、島の娘たちに行儀作法を教える。夫婦には東京の大学に行く一人娘がおり、島にも休みごとに帰ってくる。灯台暮らし30年となる一家は各地の灯台勤務を経て、3年前にこの神島にやって来たのだ。

 原作から、灯台長の人柄をしのばせる文章を拾う。「三十年の燈台生活を送っている燈台長は、その頑固な風貌と、こっそり燈台の中へ探検に入る村の悪童どもを怒鳴りつけるすばらしい大声とで、子供たちから怖れられていたが、心根のやさしい人であった」とし、さらに「孤独が、彼から、人間の悪意を信じたりする気持をすっかり失くしてしまっていた。燈台では、最上の御馳走がお客さまであった。人里離れたどこの燈台でも、はるばる彼のところまで訪ねて来るお客は、悪意をひそめて訪ねて来る筈はなかったし、また隔意なく珍客の扱いをされてみると、誰の心からも悪意は消されるのであった。事実彼がしばしば云うように、『悪意は善意ほど遠路を行くことはできない』のである。」と続く。人里離れた辺地で30年を過ごす灯台暮らしによる生き方の哲学のようなものがにじみでている。

 映画5作を見比べてみると、④⑤は山口百恵、堀ちえみの人気歌手、アイドルの動員力を当て込んだ作品だけに④有島、津島恵子、⑤神山、岩崎加根子の灯台長夫婦が脇をしっかり固め、島の灯台生活をにじませた。④に関していえば灯台業務は描かれず、有島台長がやたらと着物姿でくつろぐあたりが実情とかけ離れた感があった。

 映画としては③の森谷司郎監督作品が秀逸である。桑山、斎藤美和がぼくとつ、誠実な灯台長夫婦を好演した。神島の灯台の風景も丹念なロケで描いた。

 主演は公募した大学生だったが、演技のつたなさが島の健康な青年と少女の味わいをにじみ出していた。ビデオはないが、潮騒5作のなかでは一番、原作に近い作品だろう。   (2001年7月)


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