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オフコースのオリジナルアルバムを勝手にレビューするシリーズVolume4:「ワインの匂い」

例によって敬称略、そしてグループ名表記に中黒はつけない。

序説

1975年、オフコースは一つの転機を迎えた。担当プロデューサーが交代したのだ。橋場正敏がお役御免となり、武藤敏史が後を引き継いだ。
武藤は怪我をして入院していた頃に、オフコースの担当になることを持ちかけられていたという。それまで、トワ・エ・モアやりりィを担当してきたという。
武藤は、学生時代からオフコースを知っていたというが、その頃の彼は、まず身体を治すことを第一番に考えており、治ったとして仕事に戻れるかどうかで不安を抱えていたので、即答はできなかったそうだ。
結局、武藤が退院してから、再度話が行き、武藤は小田や鈴木と会った。会ったところで、いきなり音楽の話から入ったという。
そして、この時の印象からプロデュースの話を受けることになる。そのことについて武藤は、好意的に受け止めていた。彼自身もやりたかったといい、その反面、オフコースのスケールに圧倒されてもいたようだ。
武藤はオフコース、特に小田と鈴木に相応なリスペクトを持っていた。それ故に、彼らの色をドンと出したかったのだろう。
彼らを(業界的な意味だけでなく、大きく)「売りたい」と思っていたのではなかろうか。その意味では前任のプロデューサーであった橋場正敏とも考えは共通していると思う。

しかし、橋場とはアプローチが異なった。

あの有名な「眠れぬ夜」を巡っての「理屈抜きに楽しめる曲」を求めるために、元々スローだった曲のテンポを上げることを求めた、という顛末はよく知られるところかもしれない。
レコーディングにかけられた時間は、当時サディスティック・ミカ・バンドが持っていた記録を塗り替えるほどで、それは音に細かく拘ったことの証左と見て取れよう。
小田や鈴木が納得するような音を作って、ひいては彼らの色を強く打ち出したいとする武藤のやり方を、小田も鈴木も「そんなことをしてもいいの?」と何度も思ったそうだ。

しかし、拘りに拘り抜いてアルバムを作った結果、オフコースは初めて、自分たちの色を朧気ながらも出すことができたのではなかろうか。

この「ワインの匂い」というのは、そういうアルバムだと思う。単に「自作の音楽も演奏できるグループ」から「自立した音楽家集団」へと脱皮した作品として捉えられるべきだろう。

オフコースが、大きく長足の進歩を遂げた作品として、長らく記憶されるべき作品集だと思う。

例によって収録曲を紹介しておこう。

1:雨の降る日に
2:昨日への手紙
3:眠れぬ夜
4:倖せなんて
5:ワインの匂い
6:あれから君は
7:憂き世に
8:少年のように
9:雨よ激しく
10:愛の唄
11:幻想
12:老人のつぶやき

基本は小田と鈴木による演奏だが、半数近い曲には、ストロベリーというバンドが参加している。
また、4曲ほど旧知の矢沢透も参加している上に、その4曲で矢沢とリズム隊を組んだのが「秋ゆく街で」のコンサートにも参加したベーシストの森理であり、彼も参加した。
他にベーシストが1名、更に武藤も「老人のつぶやき」でリコーダーを吹いている。

それでは、拘りの結晶となった「ワインの匂い」について、少し掘り下げてみよう。

1:雨の降る日に

小田の楽曲。冒頭で雨音と車の走行音のSEが出てくるが、これは当時の小田の愛車であるセリカを用いて、雨の中での走行音を録ったもの。
ウッドベースの印象的なラインは、この曲のみ参加のINABA KUNIMITSUによるもので、曲に大きなアクセントを与えている。
これ以外の伴奏は小田のアコースティック、エレクトリックの両ピアノと、アープシンセサイザーで賄われている。
(作詞・作曲:小田和正)

2:昨日への手紙

こちらは鈴木の楽曲で、シングル「眠れぬ夜」のカップリング曲としても採用されている。
作詞にかなり難航したようで、鈴木は当初別の人物に歌詞を書いてもらったものの、納得のいく作品にならなかったらしく、結局鈴木自身で書いたそうだ。
結果として、とても穏当な歌詞になっている。
(作詞・作曲:鈴木康博)

3:眠れぬ夜

小田の楽曲で、このアルバムからのシングルカット曲として、スマッシュヒットしたこともあって大変によく知られている。
アルバムのバックにはストロベリーというバンドのメンバーが参加していることでも知られている。
また、この曲は元々バラードのような作品で、実際スローテンポだったという。しかし、武藤が「オフコースには理屈抜きに楽しめる曲が少ない」という言い分から、テンポを上げてやってみようと言い出している。
作者の小田は当初は不満だったそうだが、やってみて小田も納得し、アップテンポのアレンジを受け入れている。
その後のことについて書くと、シングルとしてスマッシュヒットし、後年、多くのコンピレーション盤に収録された他、「NEXT」のサウンドトラック盤にも入れられている。

また、後年、この曲は西城秀樹によってカヴァーされてもいて、ライヴ会場で小田がそのことをファンに向けて告げると、ファンは微妙な反応をしたそうだが、「その反応も込みで決断した」と述べている。
この他、香港のビビアン・チョウもカヴァーしているなど、知名度はアルバム中では断然に高い。
かつて、少しだけ話題になった「ドロボー歌謡曲」という本の中で、この曲を「あまりにもAnother Day(ポール・マッカートニーの初期のソロ曲)だよね」とする言い分が掲載された箇所がある。
もっとも、この言い分、単に両者のアレンジが近いので、そう言っただけの単なる悪意の含まれるこじつけだろう。
(作詞・作曲:小田和正)

4:倖せなんて

小田の曲。3拍子のゆったりした作品で、この頃の小田はこうした作品を得意にしていた。
フルート風の音が聴かれるのは、フルート演奏のできる小田が実際にフルートを吹いているわけではなく、彼がメロトロンを演奏して賄っている。ちなみに小田がフルートを吹くのは、次作になってから。
この曲ではベースが森理、ドラムスが矢沢透のコンビである。
(作詞・作曲:小田和正)

5:ワインの匂い

アルバムのタイトルトラックで小田の作品。落ち着いた16ビートの曲になっている。
この曲に関しては「ユーミンこと(当時は)荒井由実に捧げた曲」という誤解があるが、そうではなく、「初めて荒井由実のステージを見た時にまとめたもの」というのが正しい。
その話が、いろいろな変遷を遂げるうちに「ユーミンに捧げたもの」という誤解を生むに至っている。後に小田自身も正しい経緯を説明している。
演奏は小田と鈴木に加えてストロベリーが全面的に参加している。
(作詞・作曲:小田和正)

6:あれから君は

鈴木の作品である。この曲は、後にシングル「ひとりで生きてゆければ」のカップリング曲になる「あいつの残したものは」の言わば前編に当たる曲でもある。
従って、両者を続けて聴くと、よりこれらの作品が深く理解できようというものだ。実際、両者の歌詞の世界観はリンクしている。
これもまた、ストロベリーが関与している作品で、ロック風味がそこはかとなく感じられる。
(作詞・作曲:鈴木康博)

7:憂き世に

鈴木の作品。テイストとしては1stに入っていた「地球は狭くなりました」に近いものがある。当時としては珍しく、エコロジーの概念を歌った作品でもある。
ベースが森理、ドラムスが矢沢透で、矢沢は「タワンジ」なる楽器もやっているのだが、このタワンジ、たわしでスポンジを擦ったもののことで、これをマラカスの代用にしている。
小田によるピアノのアウトロが非常に印象深い。
(作詞・作曲:鈴木康博)

8:少年のように

小田の作品。2ndでいう「あの角をまがれば」に意味合いとしては近い作品とも言える。盛り上がる作品の前の小さなブレイクといった感じか。
このアルバムでは唯一、バックのメンバーは誰ひとり参加しておらず、小田と鈴木だけで演奏及び歌唱をしている。
(作詞・作曲:小田和正)

9:雨よ激しく

鈴木の作品。鈴木はアコースティックギターだけでなく、この曲では唯一、エレキギターにも挑戦している。鈴木が担当しているのがバッキングのみなのかソロなのかは不明。
そんな鈴木や小田を盛り立てるのは、例によってストロベリー。後年の鈴木で言えば「おまえもひとり」などにタイプの近い曲でもある。
(作詞・作曲:鈴木康博)

10:愛の唄

小田の曲。ハーモニカは鈴木。小田はピアノの他にチェンバロも弾いた。他にベースを森理、ドラムスを矢沢透が演奏している。
この曲は、実際の採用にまでは至らなかったものの、カーペンターズに対して「I'll be coming home」のタイトルで提供されたことがあるらしい。
これについて、リチャード・カーペンターからは「あの時、確かにデモテープは届いていた」という旨のコメントをもらっているという。
オフコースの作品としては人気があり、各種コンピレーション盤にも収録されることが多い。
(作詞・作曲:小田和正)

11:幻想

二人の共作。作詞は小田で、作曲は鈴木。リードヴォーカルも鈴木が取っている。「昨日への手紙」でも、歌詞を書くのに難渋する鈴木について触れているが、恐らく本曲も同様に難渋して、小田に頼んだのではなかろうか。
このような体裁の共作曲はこれ以降なく、作詞・作曲が小田と鈴木の二人、という曲がいくつか存在する。そういう意味では珍しい作品とも言える。
また、作曲が鈴木だが、その鈴木は本曲では歌唱に専念しており、楽器を一切弾いていない。
代わりに小田が、ピアノ、ハモンドオルガンなどを弾いている。この他に、ベースを森理、ドラムスを矢沢透が演奏している。
(作詞:小田和正、作曲:鈴木康博)

12:老人のつぶやき

小田の作品。静謐である一方、非常に雄大な作風で、ライヴ演奏にかけられたことも何度となくある。アルバムのエンディングにとても相応しい作風という言い方も可能。
間奏のリコーダーのソロはプロデューサーの武藤。この武藤を除く外部のメンバーは誰も参加していない。
後奏にストリングスのパートがチラッと出てくるが、こういう作り方を小田が好んでいたことが窺える。
また、この曲は本来、NHKの「みんなのうた」に提供を依頼されて作ってもいるのだが、番組からは採用を断られている。
(作詞・作曲:小田和正)

アルバム全体の短評

オフコースが後年にかけて大きくブレイクスルーしていく端緒になった作品だと思う。
まだこの頃は小田と鈴木で賄っているグループでもあったオフコースが、このアルバムのあとにメンバーを少しずつ増やしていくのだが、その端緒を作ったのは紛れもなく本作だろう。

このアルバムでロック的なアプローチを取っていったわけだが、それを今後も続けて行くには、ある程度パーマネントなメンバーが必要になると、武藤のみならず、当の小田も鈴木も考えただろう。
だからこそ、その後に大間ジロー、松尾一彦、清水仁が加入することになっていき、主要メンバーとして活躍していくことになる。
大間と松尾はそれぞれ、ザ・ジャネットというグループにいたし、清水はバッドボーイズというビートルズの影響下にあるバンドにいた。
大間と松尾は武藤と旧知だったし、清水はオフコースと多少は知り合いだったこともある。
この辺りが出会う話は、次作のところでしたい。

ともあれ、本作は拘って作ったこともあり、一つ一つの曲に説得力がある。捨て曲というものが恐らく存在しないだろう。皆粒選りだ。

カーペンターズに提供されたという「愛の唄」だとか、スローテンポだったものをアップテンポに作り直した「眠れぬ夜」のようなものに限らず、それまでの作品から一歩以上踏み出そうとする意欲が見えた。
小田も鈴木も、アルバムをより良いものにしようと渾身の力を込めて曲を作ったし、アレンジや演奏に邁進した。その成果がここには現れている。
前作までが揺籃期だとしたら、ここからのしばらくの作品は、成長期の作品と捉えることができるだろう。その冒頭を飾るという観点からも、このアルバムの意義は非常に大きい。

オフコースの新章を予感させるには十分な作品だ。わけても、全体的にポップになったというイメージはある。
それを実現させたのは、当人たちの努力ももちろんあるのだが、大きな影響を与えたのが誰かと言えば、やはり武藤だったと思う。
彼へのプロデューサー交替は、一つの賭けだったと思うし、それをして次につなげるための転機だった。

「眠れぬ夜」というスマッシュヒットも生まれたが、それだけではない充実が本作からは見て取れる。
もちろん、この段階ではまだわからなかったが、やがて大きな成果を生み出していくことになっていく。オフコースは流れに乗り始めた。
1970年代中盤から後半にかけて、オフコースは本人たちも予想し得なかったほどに、成長と遂げていくことになる。

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KAZZと名乗る適当なおっさん
基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。

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