ゴール裏を初めて体感した日
まず、カバー写真こそガイナーレ鳥取なんですが、これから話すのは主に違うチームのお話です。それについては念のため。
初めてのゴール裏はジェフ市原
かねがね申し上げていますが、実を言えば今でこそくたばり損ないのこの私にも「ゴール裏でバモった経験」というものがございます。
それはいつのことかというと、1996年9月21日。もう27年も前の話ですね。故に写真もありません。
ただ、何故かチケットはあったりします。
そしてそのチケットからもわかるようにこの試合です。
広島のゴール裏に行ったのか、と思われそうですが、実はジェフ側に行きました。
ゴール裏に行くぞ、とだけは決めていたのですが、特段の予備知識も何もなく、フラッとジェフ側に行ってみたくなったのです。
ただの勘ですね。どっちが勝つか、なんて試合前でわかるわけもありませんし。ただ、ジェフはリーグ草創期からイヤな印象は少なかったので。
当時のコールリーダー氏を知らないので、どういうイメージでやられてたのかは知る由もありません。
しかし、彼らが普段試合をしないような鳥取という場所で、決して多いわけではない観衆(この試合の観客数は7389人。これでも、普段のガイナーレ鳥取の試合の数倍はいます)と共に、盛り上げようとなさいます。
今でこそ清水の監督してる秋葉忠宏さんの写真か何か忘れたのですが、配ってた記憶がうっすらありますね。
メンバー見てるとわかるように、今なら錚々たるメンバーいますもんね。広島には今の代表監督がいますし、大砲が普通にいます(しかも、後述しますがこの人、この試合でハットトリックしてますし)、控えの1人にドラゴンとかいますね。
ジェフ側も負けてませんよ。まあその、現在のチェアマンはともかく、先制点を決めたスレンダートーン親父がいますし、清水の監督してる人とかいますよね。
試合はジェフが優勢で、いきなり城彰二さんとルーファーさんが立て続けにゴールして流れを持って来ます。
ところが、広島には「アジアの大砲」がいる。この人の連続得点で前半の中盤ぐらい同点にしてしまうのですよ。
前半は2-2で折り返すんですが、この時、ジェフのゴール裏は和気藹々としてましたね。
子供さんのお客もたくさんいたので、彼らにフレンドリーにしようという意図も感じられました。
とにかく、この時のジェフのゴール裏は殺伐としてなく、とってもよかったですよ。
実際のところ、こういう雰囲気が良くて、以後の私の有り様が何となく決まっていくんですが、それはまた後ほど。
試合は後半に入り、ルーファーさんのこの日2得点目で一旦はジェフが勝ち越すと、ゴール裏は否が応でも盛り上がります。
しかし、簡単に水を差すお人が登場するのです。アジアの大砲です。彼はこの日、ハットトリックとなる3点目を取り、またもや試合を振り出しに戻してしまうのです。
ま、これだけゴールショーが見られたら、引き分けでも構わないや、と何となく思っていた終盤頃、ハシェックさんが決勝点をわりと唐突に決めてしまうのです。
しかも、ハシェックさん、前年まで広島にいたのに、ですよ。その広島に引導を渡してしまうという、実に恐ろしい方ですね。
結果、この試合は3-4でジェフが勝ったわけですが、これで「なんかゴール裏っておもしれえぞ」となってしまいました。これが端緒となり、私はあることを思いつくのです。
ゴール裏に紛れ込もう
上記の体験に気を良くした私は、以降、度々各チームのゴール裏にお邪魔して混ぜてもらうことにしたのです。
格好をつけるような意味もあり…
流しのサポ
…を自称して。ま、要するに応援ができて楽しそうならいいや、というスタンスですね。
もちろん、当該チームを真剣に応援してるような人たちからしたら、傍迷惑な存在だったのかもしれませんし、実際そのように思った方もいるでしょうね。
私自身もサッカーの楽しみ方を模索している時期だったので、こういう行動に行き着いた、というだけなんですが、でも、やってる私自身は楽しかったですよ。
まだ当時、出雲市から鳥取市に行くのに、今みたいな良好になった道路事情ではなく、下道しかない時代なんですよ。夜なんか街灯はありますけどそれでもメッチャ暗いですよ。
メッチャ端的に言えば「莫迦」なんです。以前、山本耕史さんが出てたドラマで言うのぼせもんっていうかな。そんなイメージで捉えていただけると有り難いです。
文字通りのぼせてたんですね。いろんなゴール裏に行きましたよ。
パッと思いつくだけでも、大分(トリニティとトリニータの両方に行ってます)・浦和・鹿島・横浜M・京都・湘南・千葉、なぜかアイルランド代表…。
個々の印象を書くとあれなので避けますが、一つだけ言っておくと、意外にも浦和は行きやすかったです。ホームじゃないから、というのもあったでしょうが。
こうしてゴール裏で混じってるうちに、行き着いたのがSC鳥取→ガイナーレ鳥取だった、というわけで。
わりと好きにやってた鳥取時代
何度となく書いてることですが、鳥取でゴール裏にいた頃は、わりと好きにやっている方だったと思います。
とはいえ、もちろんチャントも歌いますし、コールも叫びます。好き勝手とは言っても、それぐらいはしないといけないと思っていたので。声は死ぬほど出しましたね。
喉も結果的に、自分の発声法がダメで潰したようなもんですし。
アクションで言えば、上下にぴょんぴょん跳ねるポゴダンスみたいなジャンプまではしませんでしたけどね。あれ、疲れるんですよ。
なので、鳥取で応援行為をやってた頃は、専ら声出し専門でやらせてもらってましたが、他のことならともかく、そのことについて誰からも文句を言われたことはないと思っています。
鳥取でゴール裏に居着くようになってから、流しのサポは止めました。行ったのは、2006年の千葉と清水と、2007年のHonda FCと2007年&2009年の湘南ぐらいかな。
鳥取は、何かこう応援しなきゃイカンって気になるチームなんですね。自分なりに惚れてしまった、というのもあります。
だから、身体がまだ大丈夫なうちは鳥取のゴール裏でアホみたいに声出してました。それをしないと自分が自分でなくなるんじゃないかと思いながら。
そして今、これからゴール裏に行きたい人へ
その後、2012年春に脳梗塞の初回に罹り、一度は復帰してみたものの、身体がついていかなくなったので、2013年の入替戦を最後に、ゴール裏そのものから足を洗った、という話はもう何度もしている気がします。
病気に関しては自業自得なので、今更何を誰を恨むこともありません。
ただ、ゴール裏というある種の特殊な空間を経験できたことは、自分にとって決してマイナスではなかった、とだけは言えます。
たぶん、何処のゴール裏を経験した人でも、大なり小なりそういう感情はあるのかもしれません。
そこで大声出したりアクションしたりしながら贔屓のチームの背中を押している、という行動に、ある種のエクスタシーにも似た感情を受けるのは当然かもしれないんですよ。
ゴール裏に関しては3年ぐらい前にも書いています。
これも踏まえて申し上げますが、これからそこで応援活動をしたい、という人たちは、どんどん行けば良いと思う。そして、そこでいろいろ試せば良いと思う。
中には理解されないこともあるかもしれないけど、法律や条例や場の決まりに背いてさえいなければ、基本的には大丈夫。
どうしてもやっちゃ(言っちゃ)いけないことならば、その時はそこにいる人たちが教えてくれるだろう。
あの場に行ったら、ビートたけし氏の曲じゃないですが、見る前に躍ぶしかないのですよ。
大江健三郎さんの本にもありますね。
元々は逆で「Look Before you leap」なわけですが、跳ぶ前に悠長に観るような世界でもないんですよ。
とりあえず、この先、声や動きで応援してみたいと思うなら、迷わずあの場に飛び込んでみませんか。
あなたがアクションすることで、そこから、何かが動き出すかもしれない。そういう面白い世界なんですよ、ゴール裏ってところは。
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