改訂最新版・自己紹介
序文
3年前に書いたものと、実情がそぐわない点が多々出てきたので
自己紹介記事を改訂してみました。
内容の大筋は似たようなものですが、
異なる点も多々あります…
…では。
なお、前回のものはこちら。
前々回がこちらです。
自称と某媒体について
前回の物の最初の方に書いてましたが「野良モノカキ」という自称を止めました。
ある時期からはXでもそう名乗らなくなりました。
何故かというと、諸事情あって、「改訂版」の方で大きくフィーチュアしていた、とある媒体と決別したためです。
この辺の事情に関しては、私からは何も申し上げませんし、その媒体の上の方にいた人についても、申し上げたいことはありますが、同様に何も申し上げません。
今もいろいろやっているようですが、私の知ったことではございません。
元々根無し草の私は媒体の縛りからはフリーでありたい、と常々思ってきました。
結果的にそうなったのですから、良かったんでしょう。
ま、この話はここいらで止めます。
スペック1
こんな感じです。
前回も書いたように、こんなもんです。進歩も何もありません。
身障者だからどうこうってのはありません。年金とか等級的にもらえないですし、減免だって一部しか受けてません。至ってごく普通に生活してるつもりです。
但し、身障者を食い物にしたりとか、いわれのない批判を受けるのはイヤですね。そういうのは今でもちょっと御遠慮願いたく。
病気で一番怖いなあ、と思ってるのは相変わらず脳梗塞なんですがね。今のところ三度目が発症しているわけではありませんが、これまでにもう二度やってますから、三度目を発症したらヤバいかも、と常々思っています。
今はとりあえず投薬治療で抑えていますが、発症の兆候がないわけでもないので。念のために注意はしているつもりです。
建設業経理事務士なんて、昔の仕事で必要だったから取得したわけで、今その知識を問われても、恐らくほぼ全滅でしょう。簿記の基礎すら怪しいというのに。
スペック2
スペックの続きです。
まあ、こんな感じ。
サッカーはね……
前回も引き合いに出してる、この辺りにズラッと書いてあります。
他のスポーツも見ますが、ことサッカーというスポーツは、相も変わらず私の原動力みたいなもんですからね。
とはいえ、つきあい方は昔とだいぶ違ってきてるのも確かでして。病気の影響もあって、イージーに動けなくなってきてますからね。
ま、それはもう仕方がないです。私の運命だと思って受け入れることにしていますよ。
さて、話を戻しましょう。
好きなチームは現存・過去含めて上述の通り。
統一感皆無じゃん!というご指摘はその通りだなあ、と思いまが、私は私が惚れたチームを好きになってるだけです。
好きな食い物の中にあるcoffee未完さんのてりやきバーガーというのは……
ガイナーレ鳥取のスタグルから何か選ぼうと思ったんですが、ポルセイド浜田のアリーナグルメから選ぶことにしました。
美味いんだからいいっしょ。
ガイナーレのスタグルだと、主食屋さんは今も店を出してますけど、肉巻きむすびは何年か前に止めちゃったっぽくて。
代替にいろいろ出て来るメニューはとりあえず好きです。
蕎麦は相変わらず好きですよ。
今でももちろん蕎麦が好きです。
以下、蕎麦アレルギーがなく、蕎麦を問題なく食べられる方向けにお話しします。
蕎麦アレルギーがあり、蕎麦を食べられない方は読み飛ばしていただいて構いません。
食い物(蕎麦編)
出雲地方ではこういうスタイルの、いわゆる「割子蕎麦」を食べるわけですよ。お店によっていろいろ違うんですが、食べ方は非常に簡単です。
割子と呼ばれる容器は、通常三段のことが多いです。メニューによって五段があったり、他の種類とのミックスで二段程度しかないものもありますが、スタンダードなものはこの写真が示すように三段です。
これの一段ごとに蕎麦が入っています。そこに別容器に入っている薬味を適宜かけるわけです。そして、同じく別容器に入った蕎麦つゆをお好みの量かけます。全部かける必要はありません。適量で良いですよ。
こんな感じ。ここでは右上の容器に蕎麦つゆが入っています。そこにこの場合は上に薬味が乗っている状態で、割子の中の蕎麦に、つゆをかけて食べるわけですね。
それを枚数分繰り返すわけです。
店によっては……
蕎麦湯がついてくることもあります。蕎麦をゆでたあとのゆで汁ですね。ついてくる店とつかない店がありますし、言えばつけてくれる店もあります。
普通はお茶みたいな感じの容器でついてきます。
私は好きなので飲みますが、もちろん飲まなくても何ら問題ありません。
蕎麦は、十割(そば粉のみで打つヤツ)や俗に二八(そば粉八割、小麦粉二割の配分)がありますが、値段は十割の方が若干お高いです。
正直、私はどっちでも良いですが、十割は美味いと思いますよ。ただ、何がどう美味いのか、と言われると困りますが。
どうしても知りたい、という人はこれでも読んでみて参考にしてみては。
私としては結論は申し上げられません。
食い物(その他編)
刺身とか豆腐とか、わりとあっさりしたものが好みです。濃いものはだいぶ口に合わなくなってきました。
いや、カレーライスとか食えますよ、もちろん。でも、量は食えない。ラーメンにしても同じ。量がだいぶ食えなくなったし、辛いのも、昔はそれなりに好きでしたが、最近は程々の方が良いです。
カップ麺も食って大丈夫なので買いますが、辛いのとか、時々間違って買っちゃいますけど、食ったら地獄絵図になっちゃうので、最近は抑え目なものを買うようにしています。
昔、麻婆丼とか食えてたけど、もう今は難しいかなあ。
ラーメンだって、あのほら、二郎系とか何とか、最近あるじゃないですか。ああいうの、いけるのかどうか自信がないです。
あ、ちなみに、酒とタバコはもう止めました。
酒は呑めるんでしょうけど、呑んだら失敗が怖いのでもうスッパリ止めましたよ。最初の脳梗塞のあと、今の会社の歓迎会で大失敗したのがトラウマになったので、それから怖くなって飲む量を減らしました。
そして完全に止めました。今は一滴も呑んでないです。
タバコも、脳梗塞の遠因になっちゃうので、二度目の時に禁煙して、以後これもスッパリ止めています。
禁煙の続くコツ?
そんなものありませんよ。あるわけがない。あるとしたら、それはもう惰性の一言です。元々量をバカスカ吸ってたわけでもないですし。
他の趣味
前回の版でも書いてますが、音楽は昔からの友達みたいなもんで。歌うのも昔から好きでした。
昔は、バンドの真似事みたいなのをして遊んでました。プロアマの別なく本格的なバンドじゃないですよ。遊びみたいなもん。あれを本格的だなんて言ったら真面目に取り組んでる人に怒られる類のです。
ビートルズをはじめとして、いろいろやりました。レッド・ツェッペリンだのディープ・パープルだのまでやったこともあります。
まあ、トーシローのお遊びなんで、出来映えなんて惨憺たるものでしたけどね。でも、楽しかったです。
ひとまず、今聴けなくて良かった。今聴いたら、私は「穴があったら入って二度と出てきたくない」気分になること請け合いです。
私はその中で歌を歌ってて。ま、でも、考えてみると、ロバート・プラントとかイアン・ギランみたいに歌えるわけがない。今考えたら、相当酷いもんでしたよ。よく他人様に聞かせてたなって思うぐらいです。
ありゃ完全に自己満足の世界でしょうな。それで、当人たる私は結構楽しんでたんですから、まあ、安いもんですよ。
人に聴かせるレベルには到底及ばないようなキーボード演奏をしたりもしてました。
デュラン・デュランのニック・ローズは昔、タイプライターやってた経験から、キーボードも演奏できると思っていたそうですが、ぶっちゃけその逸話と同じようなもんですよ。
今ですか?今はもう無理です。キーボードは病気のおかげで手が言うことを聞かない。歌も、病気の前からサッカーの応援で無茶な発声法をしていたので、声は出にくくなってましたね。
病気して、特に脳梗塞を再発してから、嚥下に支障が出たので、声が出にくくなりました。会話はできますが、満足に歌えなくなりました。これはもうしゃーない、と諦めています。
聴く方を今は思いっ切り楽しんでいます。それは昔から好きでした。あれこれ聴いてます。
上記で挙げたように洋楽が圧倒的に多いですが、邦楽だって聴かないわけではありませんよ。
オフコースとローリング・ストーンズは私がコンサートに行った数少ない実例なんで。
昔こういう体験をしたのは、やはりデカいですよ。いろんな音楽を聴きますね。ロックにポップスにクラシック。古いものから、あんまり最近のは知りませんが。
職場で時々耳にする、SHISHAMOとかあいみょんなどは、わりと私好みなのかなあ、と思ったりしますが、彼女らの音源を入手してまで聴いてるわけでもありません。
SHISHAMOとかはここにもチラッと書いてますがね。
スペック3
もう少し続きます。
この中にある「楽しく、厳しく、いい加減に」は、故・若三康弘さんから教わった、私の人生訓みたいな言葉です。座右の銘って言っても良いかも。
最初の方にも書いたように、元々根無し草みたいな人間なんで、いい加減だったわけです。だから、この言葉の真に意味するところも、本当は知らないのかもしれません。現に、若三さんから直接聞いたこともないです。
だけども、まあ、私なりに解釈して、この言葉に恥じないように残りの人生を生きていきたいなって思うんですね。
で、「とりあえず」の語について。これは、意識するしないを問わず、よく使ってしまいます。
私は、高校への入学から今に至るまで、概ねこの「とりあえず」で何とかやってきています。
高校への入学からして、先ずそうでしたし、大学に行ったのもそう。平塚と秦野の概ね中間みたいなところにある、あの大学に行きましたよ。私の頃に小田急線の駅名にもなってるあそこです。
中退しましたがね。いろいろ事情があって。
それから仕事も最初と次に関してはそんな「とりあえず」的な側面がありました。自分に合わない職種なのに、無理をしたりして。
最初のところは、人は概ね良かったです。私に堪え性がなかったのがいけないんですね。次のところは、二番目に来た上司に耐えられなかった。随分ガマンしましたが、その反動がデカすぎました。
で、しばらくの後、三番目の会社に勤めて、ここで長く働きました。
いや、それで、「とりあえず」によってうまくいったとか、幸せになった、なんてことはないですよ。
人生の伴侶もいないし、私には子供もいないわけですから。そういう意味では孤独な人生かもしれません。縁もなかったですし。
結局、2009年にいろいろあってちょっと倒れてしまい、2012年に脳梗塞の初回をやりました。2016年に二回目をやっています。2020年には腸からドバッと二度も出血して、どうなるかと思いました。
まあ、いろいろありますが、とりあえず生きてます。今後、どうなるかは知りません。
あと、私の口癖としては「面倒くさい」もありますね。いろいろ面倒くさいことは嫌いです。スパッと済ませたい。人生って、なかなかそんなわけにもいきませんがね。
この先の目標と文章について
で、この先に目標があるのかって言われると、ぶっちゃけありません。ないんですが、強いて言うなら「自分らしく生き抜いて死ねたらな」ぐらいな感じでいます。
面倒くさいんですよ。あれこれ考えるの。ただまあ、面倒くさいけど、それなりに漠然と何かは考えています。
ただ、ここで改めて繰り返しておきますが、「野良モノカキ」を名乗るのは止めました。その二つ名を二度と名乗るつもりもありません。理由は先述の通りです。
先にも触れた某媒体に関しては、書いた原稿こそ残っていますが、もはや私にとって終わったものという認識でいます。
確かに基本的には自由にやらせてもらいましたが、あれは「夢に浮かされた中で書き綴ったもの」だと思ってさえいるのです。
他の媒体からだって、こんな素人に毛が生えたようなおっさんの文章に需要を見出していただけるとは思っていません。
ただ、文章書き自体は嫌いでないため、noteにしろブログにしろ、自分が書いたものにはいつも満足していません。
書き上げた当初は「やっとできた!」と思うんですが、しばらくすると「あそこは良くない、ここはもっとよくできるはずだ」などと思い始めてしまうのです。
文章に関しては、本当に堪え性がないです。
たぶん、他人にお見せするにはあまりにもラフすぎるものしか書けてないんだと、自分では痛感しています。
正直、自分の文章は誰に刺さるのか、今でもわかりません。
ただ、誰にどういう形で刺さるにせよ、その方に良い影響を与えられたら、それだけで幸せな気持ちにはなると思います。
最後に
ひとまず、あと何年生きられるか知りませんけど、もうちょっと頑張って生きてみたいなって思います。
それでなくても根無し草みたいな人生を生きてきてるので、それで十分ですね。それ以上、何も望むことはないです。
基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。