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オフコースのオリジナルアルバムを勝手にレビューするシリーズVolume5:「Song is Love」

例によって敬称略。そしてグループ名の中黒もつけない。

序説

オフコースが前作「ワインの匂い」からプロデューサーを変えて心機一転していることは有名だが、続く1976年からは五人編成期以降のメンバーがボチボチと入ってくることになる。

まず、そのトップバッターが大間ジローであり、二人目が松尾一彦である。その上に三番目に控える清水仁もいるのだが、彼は正式加入がもう少し後になるので、ここではサラッと触れる程度にしておく。

大間ジローこと大間仁世と松尾ジュンこと松尾一彦は、ともにザ・ジャネットというバンドのメンバー同士だった。なお、松尾ジュンはこの芸名を嫌悪しているそうなので、以後は本名で呼ぶ。

ザ・ジャネットもちょっと可哀想なところがあるバンドで、秋田から志を持って上京し、某コンテストで準優勝し、ご褒美のライブに出させてもらったあと、雌伏の時が続き、その後、テレビのコンテスト番組に出演した。
この時に「ザ・ジャネット」のバンド名に変えていて、そして当該番組にて優勝を果たした。結果レコードデビューを果たすが、自作曲を演奏させてはもらえず、職業作家の作品ばかり。
結局のところ、最終シングルで初めて彼ら自身の作品が取り上げられているという程度だ。
なお、大間や松尾の芸名もこの時につけられている。更に、酷い目にも遭っているばかりか、トラブルで事務所とも喧嘩別れしてしまい、新事務所に移籍した。
しかし、そこでの方針が彼らと相容れず、見た目のイメージを極度に変換させられるなど、意図した方向性で活動できないことに幻滅したメンバーが相談して解散を決めたという。

解散の翌年、大間はオフコースの新しいプロデューサーになった武藤敏史から呼び出される。
武藤とはザ・ジャネットで旧知だったことに加えて、彼らと苦楽を共にしてきていたこともあり、彼らについて気にかけていた。
ある日、バイトで多忙だった大間を誘った武藤は、彼をオフコースのレコーディングに参加するように誘っている。
この際、渋る大間を説き伏せ、翌日本当にやってきた大間にも、「わからないことがあれば(小田と鈴木の)二人に遠慮なく訊けば良いんだ」とアドバイスしている。
ここでは鈴木作の「あいつの残したものは」と小田作の「ひとりで生きてゆければ」(後述)のレコーディングをしている。

これで好感触を残したことにより、大間が参加することになり、更にこの後には、松尾一彦が「めぐる季節」にハーモニカで参加している。彼の本業のギターについても認められるところとなった。
同じような頃に清水仁もサポートメンバーとしてオフコースのステージを手伝うようになっている。但し、彼は当時まだバッド・ボーイズとしての契約があったので、レコーディングには参加できなかった。
強いて言えば、後述するように「おもい違い」でコーラスに参加してはいるのだが、楽器演奏はしていない。また、契約上の配慮からか、クレジットがフルネームでされていない。
ただ、このアルバムに参加したベーシストの小泉良司が腕利きで「テクニックだけなら彼を選んでいた」とまで言わしめたにもかかわらず、人間的な魅力に惹かれて清水を選ぶことになったが、それはもう少し後の話。

ともあれ、オフコースは少しずつ、全盛期に近い形へと転換していくことになる。

全曲を簡単に紹介しておく。

1:ランナウェイ
2:ピロートーク
3:こころは気紛れ
4:ひとりで生きてゆければ
5:ひとりよがり
6:青春
7:めぐる季節
8:おもい違い
9:青空と人生と
10:恋はさりげなく
11:冬が来るまえに
12:歌を捧げて

メンバーは小田と鈴木、そしてほぼ大間と小泉良司がリズムセクションを担当した。松尾は一部を除いてハーモニカまたはパーカッションを担当、「ピロートーク」でのみギターを弾いている。武藤も一部で参加している。
他に、清水仁が「おもい違い」に「Delightful Chorus」なる役割で参加している。
プロデュースは武藤と、小田・鈴木。小田と鈴木がプロデュースに加わっているのは、彼ら自身にプロデュースさせる、という武藤の方針から。

アルバム全体に言えることだが「僕」という一人称が歌詞の中に全く使われておらず、その意味では珍しい作品と言える。

1:ランナウェイ

鈴木の楽曲。後年になっても、そのノリの良さからライヴで取り上げられる頻度が高い曲だったが、後年のアレンジはかなり派手になっていた。
書いた鈴木本人も気に入っているらしく、曲のコンサートでの位置づけについて語っていたこともある。
シングル「めぐる季節」のカップリング曲でもあるが、松尾は一切参加していない。
ドラムスとパーカッションの類はほぼ全て大間ジロー。小田はエレピやアコースティックピアノの他に印象的なモーグシンセを弾いている。ベースが小泉良司。
(作詞・作曲:鈴木康博)

2:ピロートーク

これも鈴木の曲で、一転して少しムーディーな曲。冒頭から聴かれるフルートは小田。一方、間奏で聴かれるリコーダーは武藤。鈴木はビートルズの楽曲「Dear Prudence」のようなタッチのエレキギターを弾いている。
リズムセクションは大間と小泉。松尾が本作に於いてギター(アコースティック)を弾いている唯一の作品。
(作詞・作曲:鈴木康博)

3:こころは気紛れ

小田の楽曲。これも後にシングルカットされたが、それは清水も加わっているアップテンポな別テイクが採用されており、このテイクではない。
また、このヴァージョン自体も、後にベスト盤などで聴かれるヴァージョンとは若干異なる。ヴォーカルがリテイクされているのだ。従って、オリジナルのヴォーカルテイクはここでしか聴くことができない。
顕著な違いは、二番の「外へ出たいから」の譜割りに特に見られる。この他にも違う箇所があると思われる。また後年の手直しの方が、幾分スタッカート気味に歌われている。
シングル用テイクは曲が一旦終了してから、スローなコーダのパートが付け足されるが、オリジナルテイクにはそれはない。松尾はハーモニカのみで参加している。リズムセクションは大間と小泉。
シングル向けのテイクは「眠れぬ夜」でも見られたレコード会社的な「売らんかな」的な側面のあるリアレンジという言い方もできた。
(作詞・作曲:小田和正)

4:ひとりで生きてゆければ

小田の楽曲で、アルバムの半年前にシングルとしてリリースされた作品。また、大間ジローがオフコースのセッションで初めてドラムスを叩いた二曲のうちの一つ(もう一曲は鈴木作の「あいつの残したものは」)。
大間は「俺にはそんな器用なことはできない」と渋ったが、武藤に押し切られ、何とかこなしている。小田や鈴木の眼鏡にもかない、彼はオフコースの手伝いをするようになっていく。
なお、この曲のベースはアルバムのセッション以前に録音されていることもあり、重実博が演奏している。
(作詞・作曲:小田和正)

5:ひとりよがり

鈴木の楽曲。鈴木が歌っているばかりでなく、グローブとボールで効果音をつけたりしている。
クレジットがないので間奏で台詞を喋っている人物が不明だが、この台詞が良い味を出している。
松尾のクレジットにある「Noodle Cup」というのはカップ麺の容器のことを指しているものと思われ、これをかき回して音を作っているものと思われるが、詳細は不明。
ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツが「Moon is up」で聴かせていたMystery Drumsみたいなものだろうと推測することが可能だ。
(作詞・作曲:鈴木康博)

6:青春

鈴木の作品だが、元々の初出は1974年10月の「秋ゆく街で」のコンサート及びその模様を収録したライヴアルバムであり、その模様にちなんだ歌詞を若干書き換えたものがこのテイクである。
また、再収録するに当たり、テンポを若干落とし、落ち着いた歌い方に変更して歌っている。コード進行も多少変更しているところがあるように見受けられる。
このテイクでもギターが多用されているものの、アコースティックギターではなくガットギターが使われている他、エレキギター主体のアレンジにもなっている。
小田がフルートを吹き、松尾もハーモニカで彩りを添えている。よりグレードを高めた作品、という言い方ができる。
(作詞・作曲:鈴木康博)

7:めぐる季節

小田の作品で、松尾が初めてオフコースのレコーディングに参加した楽曲であると共に、アルバム冒頭の「ランナウェイ」をカップリングにシングルカットもされている。
また、更に言うならば、これはいわゆる「Song Is Love」のロゴが初めて登場したシングルでもある。
小田はフルートも吹いているが、モーグシンセがむしろこの曲では活躍している。
リズムセクションは大間と小泉が担当。シングルのジャケットのレストランは現存し、窓もそのままの状態らしい。
(作詞・作曲:小田和正)

8:おもい違い

鈴木の作品。かつての自分たちについて歌っていると思われる部分がいくつか見受けられる。
小田、鈴木、大間、松尾、小泉に加え、清水までもが参加しているという「Delightful Chorus」は二番の大サビ前から徐々に登場し、ラスト部分で本格的に登場する。
鈴木が弾いているエレキギターは、いわゆるワウギターであり、またクレジットがないがシンセサイザー風の音が聞こえる部分がある。
松尾はハーモニカでなくパーカッションをやっている。
(作詞・作曲:鈴木康博)

9:青空と人生と

小田の作品。大間と小泉、それに松尾は参加していない。小田と鈴木と武藤だけでレコーディングされた。
ストリングスのアレンジは小田と鈴木の両方で行っている。文字通り小田と鈴木のコンビの妙を聴かせる作品であり、かつての路線に戻ったような作風でもある。
逆に言えば、そういう路線との決別のために用意された作品、ということも言えるかもしれない。
(作詞・作曲:小田和正)

10:恋はさりげなく

鈴木の楽曲。彼が演奏しているギターは、本作のセッションでも多用しているガットギターである。
間奏で印象的なフルートを吹いているのはもちろん小田。その小田のフルートが終わったあとの鈴木のヴォーカルが、なかなかの激しさを見せるところが本作のハイライトと言える。
曲にアクセントをつけているエレピは小田で、松尾はハーモニカなどで参加している。
全体的にはワルツのリズムであり、その軽快さに乗って、鈴木は力を込めたり抜いたりと巧妙に調節しながら歌っている。
(作詞・作曲:鈴木康博)

11:冬が来るまえに

元赤い鳥の後藤悦治郎でよく知られる紙ふうせんに似たようなタイトルの曲があり、本作からおよそ一年後にリリースされてヒットしたが、もちろん何の関係もない。
さて、本曲だが、小田の楽曲であり、どちらかと言えば二人時代にテイストが近い曲である。小田にしろ鈴木にしろ、最小限の楽器しか弾いていない。
また、この二人以外には大間にしろ小泉にしろ、同じように最低限の楽器だけ演奏している。
最終曲の前の盛り上がりを企図したような部分がある。
(作詞・作曲:小田和正)

12:歌を捧げて

小田の作品。小田と鈴木のコンビのみで演奏されている。メイン部分は一番しかヴァースがなく、後述するように後年になって二番が書き足された。
これは、元赤い鳥でもあるハイ・ファイ・セットが1979年にカヴァーしてもいる。その際も一番しかヴァースがなかった。
そのハイ・ファイ・セットの山本潤子と小田がとあるコンサートでデュエットした際に、初めて二番が書かれている。
また曲後半のアウトロは、次作冒頭の「INVITATION」の冒頭につながるものでもある。「INVITATION」で採用された際はテンポが若干上げられ、歌唱も小田と鈴木の双方が行っている。
これに対して、本作では小田のみが歌っている他、テンポと言うよりアレンジそのものがレイジーでダルなものになっている。
(作詞・作曲:小田和正)

アルバム全体の短評

この年、オフコースは杉田二郎のサブミュージックパブリッシャーズから独立し、オフコースカンパニーを設立している。
また、先にも述べた大間ジロー、松尾一彦、清水仁をサポートメンバーとして迎え入れてもいる。彼らが契約上も正規のメンバーとなるのはもう少し後の話だが、その後のオフコースの基盤はこの頃にできている。

武藤がアルバムのプロデュースを事実上、小田と鈴木に委ねたことで、より小田と鈴木の意向に沿った作品を作れる体制が整いつつあった。それは逆に言えば作品に言い訳が利かないということにもなる。
しかし、小田と鈴木にその道を取らせたことで、オフコースは更なる前進を遂げていくことになる。
また、小田は、この頃に早稲田大学の大学院を卒業しており、長々と踏ん切りをつけられなかったプロへの本格的進出を、そのことを以て果たすことになる。

一部を除く多くの作品は箱根にて合宿形式で録音され、契約上演奏家として参加できない清水仁以外は、メンバー間の一体感も徐々に作られていったものと推測できる。
ただ、そうは言っても、松尾は「ピロートーク」の一曲でしかギターを弾いておらず、本領発揮とまではいかなかった。そのため、大間を加えた習熟期間と見るべきなのかもしれない。
まだこの頃のオフコースは、あくまでも小田和正と鈴木康博のグループであり、あとから入ってきたメンバーが介在する余地がなかったと言っても良いだろう。

それを作ったのが、本作のあとに発売された「こころは気紛れ」のシングル向けテイクであり、それにて五人時代以降のオフコースの原型が作られたと言っても過言ではないだろう。
そして、そんな五人のオフコースを一個の形にしたのが続くアルバムでもある「JUNKTION」であり、あくまでも本作は「助走」という見方をするべきだろう。

何にしろ、飛躍のきっかけになった作品と言える。美しくもあるが、力強さも内包する、そういう作品と考えて良いかもしれない。

オフコースはこれ以降、更に大きく成長していくこととなる。

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KAZZと名乗る適当なおっさん
基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。

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