『建築家のドローイングにみる<建築>の変容 −−ドローイングの古典、近代、ポストモダン』 12
11を読む
3-3. コラージュが生み出すイメージ
3-3-1.テラーニの『リットリオ宮コンペA案』
ミースやコルビュジェよりもおよそ一回り年下の建築家、ジュゼッペ・テラーニ(1904-1943)はイタリア合理主義の建築家として知られている。彼はジーノ・ポッリーニやルイジ・フィジーニらと「グルッポ7(セッテ)」という名の建築家のグループを結成し、イタリアにおける近代建築の新しい流れを築き上げた。彼らイタリア合理主義は、コルビュジェやミースといったモダニズムの建築を取り入れながらも、一方ではイタリアのファシズムに与し、その影響下で独特の形態表現を生み出した。中でもテラーニは、カサ・デル・ファッシオに代表されるような明快な構成を持った近代的デザインと、ダンテウムや数々の記念碑建築にみられるようなシンボリックな神秘性との両面性をもっており、謎めいた魅力を持つ建築家である。
本節で最初に取り上げるドローイングは、1934年にイタリアのファシズム政権によって募集された『リットリオ宮コンペ』に提出された案である。古代ローマの称号を愛用したムッソリーニによってその名称を与えられた『リットリオ宮』は、彼のファシズム政権の中心施設として、いわば政権の顔となるべく構想されていたものである。この『リットリオ宮』のコンペにおいて、テラーニはA案、B案の二案を提出し物議を醸した。というのも、前者が非常にモニュメンタルな建築であるのに対し、後者はそれとは全く異なり明らかに合理主義的な建築であって、この正反対と言って良いほどにかけはなれた二案が同一の建築家によって提出されたことに審査員たちは当惑したのである。
これら二案のうち特に注目したいのはA案の方である。この案は、なんといっても統領(ドゥーチェ)の演説用広場に設けられた80mもの大きさの湾曲したスクリーンが特徴的な案である。その見るものを圧倒するほどに巨大な壁面には奇妙な亀裂処理がほどこされ、異様なほど強烈な効果を発揮し、シンボリックな建築空間を生み出している。
しかし本論の関心は、いうまでもなくそのドローイング(図22)にある。このドローイングの特異な点は、ドローイング内に様々なコラージュが施されていたということである。
その配置平面図には、ローマの建築やエジプトの墳墓、アクロポリスの丘、ギリシアのアクロポリスなどといった様々な古代建築のプランが貼付けられていた。そして大内昌弘の比較図が示すように(図23)、リットリオ宮のプランは、それらの古代建築に非常によく似たものであった。「エジプトの原始的な墓/戦没者慰霊棟」、「ギリシャのアクロポリスのサイトプラン/全体の配置」、「古代ローマの会議場施設の平面/空中に浮いた会議場」、「パルテノン神殿のファサードの歪んだ視覚効果の分析図/歪んで宙づりのファサード」といったようにドローイング中のコラージュはそれぞれテラーニの建築の要素に対応づけることが可能である。彼のプランは明らかにこれらの古代建築を参照したものであった。そしてこのような古典建築への参照が、ムッソリーニのローマ趣味に合わせ、ファシズムに正統的権威と威容を与えるべく意図されたものであることは想像に難くない。
しかしながら議論の要点は、単に彼の建築と古代建築との類似点を指摘することにあるのではない。そうではなくて、彼がドローイングの中にコラージュという形でわざわざ参照元を記した、という事実により注目したいのである。というのもこのような操作は単なる形態的な模倣とは異なり、建築に新たなイメージの表象を持ち込むものだと考えられるからである。
周知のように、ある建築に威厳を持たせるために古代を参照するという方法は、ルネサンスの時代からフリードリヒ・シンケルの新古典主義建築に至るまで数多くなされてきた、いわば建築上の常套手段である。それらはオーダーと呼ばれる柱のデザインや、ファサードの構成、そして対称的な配置などの点で正統的規範として古典建築を参照し、それをデザインに取り入れる。そしてそれらの建築において、参照はある意味で直接的になされる。古典建築は形態的に模倣され、ほとんど同じような見た目のコピーとして建物に反映されるのである。擬古典建築、といわれるように、それはその建物をあたかも伝統を持つ建物であるかのように見せかけ、それによって建物に重厚感と正統性を与えるものである。
しかしテラーニの場合、古典建築との参照関係は、このような単純な形態的コピーではない。それは古典建築を参照しはするが、それを模倣するものではなく、独自の建築原理によって形作られるものである。あるいは古典建築を引きつつもそれを換骨奪胎し、自らの建築の中で再構成しているといってもいい。大内は、この独特な参照関係を以下のように述べている。
「帝国通りを挟んだところに建っている古代ローマ建築のバジリカの建築構成原理が「古代」を象徴する正命題としたとき、リットリオ宮のA案の建築構成の原理はあたかもバジリカの古典的建築原理を破壊して再生するかのように二律背反した反命題として想定出来る。ここでは、古典的な構成原理が反−構成されている。・・・リットリオ宮の建築の建築形態の要素(エレメント)は「古代=死」建築がア・プリオリ(先験的)な「新しい古代」世界のための普遍的建築空間のモデルとしてメタフィジカルな幾何学の援用の下に単純化され、「反—構成」のシステムにコラージュされる要素(エレメント)として引用される。古代への歴史的時間の系列化が、空間構成の系列化に変換される。すなわち、「新しい古代」世界のモデルとしてメタ・コラージュされたのである。」54*
「古代」の「死」んだ古典建築がそのままに建てられるのではなく、それは一度「破壊」され解体され、咀嚼し直されて新たな建築として「再生」するのである。古典建築はそのままに模倣されるのではなく、「要素(エレメント)」として引用されているのである。このような「引用」を可能にするのがコラージュという操作である。建物として直接的に古典建築を模倣せずとも、コラージュによって参照元としての古典建築をプロジェクトの中に取り込むことが可能となる。またコラージュによる併置は、両者の類似点を明らかにしもするが、それによって一方を他方に回収してしまうことはなく、両者を並列的関係のうちに保持する。つまりここにおいて、リットリオ宮と古典建築とは、コピーとオリジナルというようなヒエラルキー的あるいは一方向的関係におかれるのではなくて、両方向的な参照関係を結ばれ、対等な比較関係におかれるのである。
リットリオ宮のドローイングは、わざわざ古典建築を参照している、という事実をドローイングの中に提示することによって、我々に彼の建築と古典建築との関係とを問い直すように強いる。この仕掛けによって明らかに彼の建築に対する表象は変化させられることになるだろう。もしコラージュを削除し、彼のプランのみが描かれているようなドローイングを作成してそれをオリジナルのドローイングと比較してみれば、両者から我々が受け取る表象がいかに異なったものとなるかがわかるに違いない。そしてここに生まれる差異は、コラージュという仕掛けによってリットリオ宮のドローイングが獲得する新たな表象伝達の機能によって生み出されたものに他ならない。コラージュによるイメージの併置は、それぞれの図像によるデノタティブな指示とは別に、両者の間に新たにコノタティブな関係性を結ばせる。つまりその配置図のプランがリットリオ案自体を描写し、コラージュ部分がそれぞれの古典建築を示している、というだけではなく、リットリオの配置図が古典建築の隠喩として読まれ、コラージュされた図がリットリオ宮に関する説明として読まれる、というような交差的な参照関係が生まれるのである。コラージュはそれ故、単なる古典建築の借用といったものではなく、ある記号作用の変容を伴って新たなイメージをそこに出現させるものである。
このようなコラージュの使用におけるテラーニの意図を読み解く鍵として、大内の文章中でも触れられていた「新しい古代」という概念について考えてみるべきであろう。この「新しい古代」というやや語義矛盾的ともいえる語は、テラーニが所属するグルッポ7が雑誌『Rassegna Italiana』に1927年に発表した宣言文の中で『建築IV 新しい古代』として第四論文のタイトルに掲げられた言葉である(55*)。
「新しい古代」というこの言葉の含む逆説めいた響きは、古典的、伝統的なものと近代的なものの両方を求め、両者の綜合に建築のあるべき姿を見たグルッポ7の姿勢をよく表している。イタリア合理主義は、近代性と革新的精神においてはイタリア未来派に師事しそれを吸収しながらも、徹底的に伝統を拒否し破壊を至上命題とするかのような未来派の否定的傾向に対しては批判的な態度をとる。「我々はみな、明快さ、再検討、秩序の大いなる必要性を感じている」(56*)。そしてこのような「明快さ」や「秩序」を彼らは「伝統」に求めるのである。彼らは「現代都市における光り輝く広告が繰り広げる桁はずれの装飾」や「ガラスの壁で出来た工場」を賞賛するが、それとまったく同時に「15世紀におけるジョットー的な背景とタロットカードのさし絵」や「フランチェスコ・デ・ジョルジョの建築の寄木細工やセルリオの木版画」などといった古典的なものにも賞賛の眼差しを向けるのである。
「我々の過去と我々の現在とは、相反するものではない。我々は伝統を破壊しようとは思わない。それ自身変化し、新たな局面を開いていくもの、それが伝統であり、殆どの人がそのことを認識していないのである。」57*
彼らは古典と近代との間に共通の「合理性」を見出し、それによって両者の対立を止揚し、綜合する。「伝統」がある特定の歴史的な様式を指すものではなくて、このような「合理性」の名として読み替えられれば、時代に関わらず「伝統」を見出すことが可能になる。そして彼らの時代においてはそれは、近代的精神と同一のものに他ならないのである。
「新しい古代」というレトリカルな表現で言い表される「伝統」の新しいあり方――リットリオ宮のドローイングは正にそれを伝達する。それは古典建築を参照しつつも単なる模倣に堕すことはなく、テラーニが自らリットリオ宮の設計の主旨として語る言葉を引用すれば、「威容を求めようとする誠心と奴隷根性的な模倣への毅然たる拒絶」(58*)を同時に実現するものである。リットリオ宮のコラージュはこのような新たな表象のための仕掛けであった。
13を読む
---
54* 大内昌弘「メタ・コラージュ」『ジュゼッペ・テラーニ 時代を駆けぬけた建築』, p.217-219
55* グルッポ7「建築IV 新しい古代」。八束はじめ編「近代建築史資料 イタリア建築1926-1943:論文十題」『SD』1979.3に掲載されている。
56* ibid., p.54グルッポ7「建築1」。
57* ibid.
58* テラーニ「ローマリットリオ宮殿設計競技(第一段階)のためのテクスト」(1934)。八束はじめ編「近代建築史資料 イタリア建築1926-1943:論文十題」, p.63
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?