見出し画像

№5381:結果が出ない人は「抽象度」が低い

こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。

さて、土曜日は(基本的に)いただいた質問にお答えしています。

【今週のご質問】
「読書をする意味をひとつ挙げるとしたら、どうお答えになりますか?」

【私の考え方】
「物事の抽象度を上げるため」と答えます。

抽象度を上げる方法は読書だけではありませんが、最重要な手段のひとつです。

ちなみに(私の解釈では)「抽象度を上げる」というのは「物事を俯瞰して見る能力を上げる」ということです。

「物事を俯瞰して見ることができる」ということは「多くの選択肢から物事を判断できる」ということです。

これは「より良い選択」につながります。

本というのは「自分以外の人の考え方」を知ることができます。

このことは説明するまでもなく「考え方の幅を広げること」になります。

ですので同じような分野や著者に偏らずに幅広い読書をすることが求められます。

このような考えから、私は「専門書を読むことは読書ではない」と言っています。

もちろん専門書を読むことは必要ですが、専門書は思考の幅を広げるのではなく、考え方の固定化を推進してしまいます。

この末路が「あれが正しい」「これは間違っている」と主張する「偏った専門家」です。

当たり前ですが、専門書を読むことを否定しているのではありません。

「世の中で正しいと認められている普遍的な医科学」を知るためには専門書を読むべきだし、「考え方を固定化させない」「知識の幅を広げる」という目的においても専門書は必要です。

が、知識が固定化するような読書はよくありません。

経験上、断言できますが、抽象度が低い人、つまり目先のことにばかり関心がある人は例外なく読書をしていません。

仮にしていても圧倒的に量が足りていません。

最低でも月に6~8冊程度の本を読まなければ抽象度は上がらないでしょう。

FBL大学の同志の方は「本を1000冊読んで思考の土台ができる」と述べていましたが、そういうことだと思います。

月に8冊なら年間約100冊。

このペースなら10年ですね。

これが長ければ「3年で300冊」といったところだと思います。

それをしない人、していない人というのは抽象度が低いから、読んだ本の影響をそのまま受けちゃいます。

で、相手に食ってかかったり、感情的な態度を取ったりする。

すべて「抽象度が低い=目先のことしか見えていない」からです。

こういう思考の人になりたくなければ、偏りなく多読をすることが必須だと思います。

▼FBL大学のホームページはこちら
▼無料メルマガ「継続するコミュニティビジネスの考え方」のご登録はこちら
▼有料メルマガ「思考変容のスイッチ」のご登録はこちら

いいなと思ったら応援しよう!